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1998/09/21 遥かなる自由の女神の唄 

昨夜はGAORAでライオンズ・ベンガルズ戦を観戦。QBニール・オドネルはいいパスを何本も決める。鳴り物入りで移籍したNYジェッツではさっぱりだったが、開幕直前にベンガルズに移籍したにしては、なかなか見事な活躍。ライオンズのバリー・サンダースもやはり天才的なランナーだ。しかし彼も、もう10年選手とはねえ。

日本語の解説を聞いてると、ベンガルズには日系の選手がいて、NFLの中でもおそらく日系人はひとりだけじゃないかなんて言っている。画面では本人は確認できなかったが、ロースターを見ると、Takeo Spikesなんて選手がいるなあ。母親が日系なんだろうか。


考えてみると、アメリカンフットボールは白人と黒人の天下で、ほとんどアジア系は見た事がない。49ersにいたガードのジェシー・サポルってのはハワイアンだったけどねえ。中国系は昔、チャンとかいう選手をどこかで見たような気がする。そう言えば、マーク・リッペンってクオーターバックは、ちょっとネイティヴ・アメリカンの血が入ってるって聞いたな。

アメリカの人種別人口で行くと、日系アメリカ人は、戦前は、アジア系の中でも中国系に次いで多かったらしいが、最近では、韓国、フィリピン、ベトナムなんかに抜かれてるらしい。なにしろ、フィリピン人や中国人なんかは、家族の一人でも市民権を取れば、イモヅル式に一族郎党を全部引き連れてアメリカにやって来るからなあ。アメリカには日本人が沢山住んでるとは言っても、留学や駐在などの非移民ビザで滞在している人口が大半だし、日本人の場合は、移民としての人口の増加は少ないようだ。

しかし、不法移民に手を焼いているにもかかわらず、移民の少ない国に割り当てをして、抽選で当たった人に永住権を進呈してまで移民を増やそうなんていうところが、なかなか他には真似のできないアメリカという国のある種の能天気な度量。

もっとも、カリフォルニアなどで不法移民排斥法案が次々と成立しているように、移民政策も見直し気運が高まっているが、この市民権抽選プログラムも一度議会で廃止するかどうかでモメた事があった。ただでさえヒスパニック系なんかの不法移民が多いのに、これ以上、抽選なんかによって更に移民を増やさなくともいいのではないか、なんて議論だったと記憶している。

その時の議会で、名前を忘れたが、とある議員は、このような抽選移民法の廃止を求める意見に、大筋こんなように述べたね。

「アメリカは移民によって出来た国で、私やあなたも、先祖を辿ればすべて移民の子孫なのだ。多様性こそが我々の国是だ。ドアを閉ざすべきではない。自由の女神の足元に書いてあるあの詩をあなた方は忘れたのか」と。

NYのシンボルでもある『自由の女神』に捧げられた詩と言うのは結構有名で、あちこちで目にした人も多いだろうが、ちょっと思い立ってWebで検索してみた。意外に見つからないもんで難儀したが、いちおう見つけた(と思う)ので下に全文を掲載して、私の試訳をつけておこう。Emma Lazarus (1849-1887)と言う人の作なんだそうだ。

『The New Colossus』

Not like the brazen giant of Greek fame, with conquering limbs astride from land to land; Here at our sea-washed, sunset gates shall stand a mighty woman with a torch whose flame is imprisoned lightning, and her name Mother of Exiles. From her beacon-hand glows world-wide welcome; her mild eyes command the air- bridged harbor that twin cities frame.

"Keep ancient lands your storied pomp!" cries she with silent lips.

"Give me your tired your poor, your huddled masses of your teeming shore. Send these, the homeless, tempest-tost to me. I lift my lamp beside the golden door!"

『新たなるアポロンの像』

それは大地を駆け巡った征服者の腕を持つ、高名なギリシャの真鍮の巨像ではない。この波打つ場所に、夕闇を背にして立つのは、雷を封じ込めた炎のトーチをかざす力強い女神。そして、その名は亡命者の母。その指し示す手は、全世界に歓迎の光を送り、その瞳は、双子の都市が空を越えて結び付けた港を静かに見渡す。

「古き土地はその伝説の虚栄のままにあるがいい!」

彼女は物言わぬ唇で叫ぶのだ。

「そこにいる疲れ果てた人々を、貧しき人々を、海岸に群れまどうその集団を、私のもとに寄越しなさい。家も無く、嵐に翻弄される人々を、私のもとに送りなさい。私はこの黄金の扉の横で、明かりを捧げているから!」


自由の女神(Statue of Liverty)が立っているエリス島は、昔の移民局があったところで、このフランスから送られた女神像は、数え切れないほどの移民の群れを、彼らが初めて目にする自由の国、アメリカの象徴として、そのやさしくも厳しい威容で迎えてきた。すべての世界から人々を受け入れる、希望と若さに満ちたアメリカの理想のモチーフとして。

寛容と希望に満ちた女流詩人のこの唄を思い起こした時、移民抽選プログラムの廃止を唱えた人々は、未知なるフロンティアを目指して父祖の地を離れてアメリカに移民してきた先祖を思い起こして、少々恥じ入ったに違いない。

現代のアメリカ自体は色々と問題も山積だし、決してこの世の楽園ではないが、少なくともある種の理想は、いまだに死に絶えてはいない。そんな気がする。果たして現代の日本に、こういう理想主義は生き残っているだろうか。もともと、そんなもの無かったと言われれば、その通りなのかもしれないけど。