今日はちょっと寝坊したのでフレックスで出勤する事にした。10時過ぎてそろそろ出かけようとしていると、インターホンが鳴る。受話器を取ってみると、女性の声で、「近くに住む○○と申しますが、今日は、現代社会がかかえるさまざまな問題について、ちょっとお話できたらと思いまして」などと話す。
だいたいどういう事か想像がついたので断ると、それでは、パンフレットを入れておきますので、是非あとでお読み下さいと言って去っていった。
新聞受けからパンフレットを取ってみると、案の定「ものみの塔協会」の冊子だ。いわゆる「エホバの証人」。
それにしても、日本に帰国して相模大野にいた時にも何度か同じような訪問があったが、いつもオドオドした、おとなしそうで哀しげな女性の声だったのはなんでだろうか。信者そのものが、あんまり幸せそうに見えない。真面目そうな人が多いのは認めるが。
Webには、「エホバの証人情報センター(Jehovah's Witnesses Information Center)」というページがあって、エホバの証人=ものみの塔協会の設立の歴史から、さまざまな教義の矛盾まで丹念に述べてあって面白い。
上述のページを抜粋すると、「ものみの塔(Watch Tower)」とは、19世紀の終わりに、もともとは伝統的なクリスチャンであったペンシルバニアのアメリカ人、チャールズ・ラッセルが、「1874年にキリストはすでに見えない形で再臨した」、と唱え出したことから始まった一種のクリスチャン系新宗教。他教団との衝突や、教義の変更を繰り返しながら、今では世界に広がった大きな教団となった。
「エホバの証人」とは、普通この宗教の信者を指すが、「三位一体」、「キリストの神性と復活」などを否定し、既存のキリスト教系団体を攻撃するとともに「ものみの塔」組織以外での救済や聖書理解を否定するなど、急進的な主張で昔から知られている。
伝統的なキリスト教の価値観と一致する部分も多いようだが、世界の終わりが近いから、伝道のほうに励むべきだとして、信者が高等教育を受けることや、結婚したりすることを歓迎しないなどの協会の態度には、ちょっと同意できないな。
それにしても、エホバの証人も、何度も家に来るのに、最初の語り掛けでいつも「エホバの証人・ものみの塔」の名前を隠すのは気に入らないね、というより、なぜ、「ものみの塔からキリストの福音を述べ伝えにきました」と堂々と言わないのか。そこがちょっと不思議だ。
で、もうひとつ、「エホバの証人」のユニークな教義で有名なのは、輸血の全否定だが、エホバの証人と血に関するメッセージというページを見つけた。これは、「長老」と呼ばれるエホバの証人の協会内の上層部を含む数十名の改革派によって書かれた文章で、世界の「エホバの証人」仲間に、自分達の協会の教義に対する疑問を呈示し、自己批判と変革をうながす興味深い文章になっている。
旧約のレビ記などにある「血を避ける」規定は、「生命の象徴としての血」を肉とともに食べることを禁じており、伝統的な聖書解釈では、生きたままの動物や、適切にトサツされなかった動物を食べることの禁止だというのが通説らしい。
確かに、旧約聖書を聖典とするユダヤ教徒も、正統派のキリスト教徒も、輸血禁止なんて規範を聖書から導き出してはいないわけだから、「聖書が輸血を認めてない」というエホバの証人たちの主張の妥当性には大いに疑問がある。
いや、別に新たな教義として主張するのなら、信教の自由で何を言っても自由だが、「これこそが聖書の教えだ」と主張するのがちょっと疑問だということですな。ましてや、輸血拒否によって本人だけが死ぬならまだしも、バプテズマ(洗礼)を受けたとはいえ、まだ何も分からない信者の子供が、何人も助かる命を亡くしてると聞くとなおさらだ。 |