「ららら日記」神宮寺さんが、カウンタ235,533と、235,678をゲット。惜しい!というか惜しくないというか(笑)
で、昨夜は、NHK衛星放送で「民族の祭典」を見ていた。1936年のベルリン・オリンピックを記録した映画で、監督はレニ・リーフェンシュタールという女性。沢木耕太郎の書いた「オリンピア」を読んでから、この記録映画は是非見たいと思っていた。
やはり、ショーとして巨額の金が稼げるようになった現在の陸上競技と比較すると、当時のオリンピックゲームは、なんだかまだ牧歌的である。ハンマー投げや円盤投げも、今とはずいぶんフォームの力強さが違うし、走り高飛びは、まだ背面飛びが開発されておらず、全員が小学生が体育の時間にやるような「はさみ飛び」だ。
棒高跳びのバーは竹製で、着地する部分はマットレスではなく単なる砂場。着地した選手はかなりの衝撃があるようで、あれはちょっと痛そうだったな。
短距離走にしても、どこかバタバタしたちょっと滑稽な格好で走る選手が多く、コンマゼロ1秒を争う現代のトップ・アスリートの、計算されつくした滑らかなフォームと比較すると、やはり時代の流れを感じる。
ベルリン大会は、ドイツ帝国の全権を掌握したヒトラーが、アーリア民族の優秀性を世界にアピールしようとする意図を持って開催したと伝えられているが、この映画には妙なプロパガンダ臭は無い。相手選手の動きを目で追うライバル、盛り上がる観客席の映像など、丹念に撮られたショットが効果的にインサートされており、鍛え上げたアスリートの肉体を通じて、スポーツが織り成すドラマが浮かび上がる。
特に印象的なのは、随所で日本人選手の活躍が描かれていること。世界新記録で金メダルを取った3段跳び。5時間の激闘の末、銀メダルと銅メダルを獲得した棒高跳び。
男子1万メートル走では、村社(むらこそ)選手の火を吹くような魂の激走が心に残る。ペース配分を無視していきなりトップに立ち、大柄なフィンランド選手3名に囲まれても、ただただ全力で走り続ける村社。東洋からやってきた160センチそこそこの小男が奮闘する姿は、期せずして観客の心を捉え、メインスタンドから大声援がわきおこる。しかし、その村社も、最後には力尽きて4位に終わる。その一部始終のドラマをリーフェンシュタールのキャメラは見事に捕らえている。
もっともこの映画には、日本人として大変に居心地の悪い場面もある。
男子マラソンで、並み居る強豪を倒し日本代表として金メダルを獲得した孫(ソン)選手。日本がオリンピックのマラソンで獲得した金メダルは、後にも先にもこれだけだが、孫選手は、現在の国籍でいうと日本人ではない。当時は日本占領下の朝鮮から、日本代表として出場した朝鮮出身の選手である。
孫選手は、オリンピックで金メダルを獲得しながらも、日本の植民地支配により、母国朝鮮の旗を掲げることは許されなかった。踏みつけた者はアッケナク忘れ去っても、踏みつけにされた者には忘れ去ることはできない歴史がある。そんな栄光と屈辱の交錯するドラマは、およそ60年以上も前に製作されたこのドイツのフィルムにも、そのまま刻み込まれている。
ゴールの後、「ソン ヤーパン!(日本の孫)」と紹介され、日の丸が掲揚される表彰台に、孫選手はどんな心境で立っただろうか。今まで私が見たマラソンに関して言うと、最後の競り合いになると、韓国人選手は日本人には絶対に負けない。その理由が、なんだか得心できるような気がするベルリンの金メダルである。 このベルリン大会の次は東京での開催が決まっていたが、すでに中国での戦争が泥沼と化していた日本は、結局、開催を辞退。1940年の東京オリンピックは幻の大会に終わった。第2次世界大戦の敗戦から、焦土と化した日本が復興し、悲願のオリンピック東京開催をなしとげたのは1964年。敗戦からおよそ20年近くを要した。オリンピックにまつわる、日本が忘れてはならない歴史だと思う。 |