昨日の夜、ニュースステーションを見てたら、連続幼女殺人で獄中にいるあの宮崎勤と文通をしているノンフィクション作家が出演していた。それにしても、自分の異常な性衝動のためだけに、幼女を次々と殺した殺人鬼宮崎が、まるでスター気取りになってるのは実に不愉快である。 日本の裁判は、こういう「異常な殺人」には、点が甘い。「点が甘い」というのは、裁判官が理解できないと、すぐに「責任能力なし」ということになって、死刑判決がなかなか下りないという意味だ。 日本の司法試験がやたら難しいせいもあるのか、裁判官になるのは、小さい頃から俗世間を知らずにむやみに勉強していた奴ばかり。それが裁判所に就職して(就職でいいのだよなあ)、ますます浮世を離れた世界しか知らなくなるのだから。 匿名でなんでもできるインターネットの暗黒を旅すると、ああいうロリコン狂の宮崎みたいなのが、実は普通の顔をしてあちこちにいるのは、結構、当たり前であることがわかる。後は、実際に殺すか殺さないかだけの違いだろうか。 そのノンフィクション作家は、宮崎が、幼女の死体を捨てた後の現場をずっと後に再訪して、白骨を齧ったということにむやみに感心して、まるで彼が死刑をまぬがれるほど異常だと言いたいように見うけられたが、大丈夫、そういうイリュージョンを持ってる程度なら、ちょっとネットを探せばゴロゴロ見つかる。 だから、別に驚天動地の異常ではなく、宮崎には、責任能力はバリバリにあるのは明かだ。そういう意味では、実際に幼女殺人を実行する奴は、確かに異常ではあるが、確信犯的な異常であって、普通に我々が生きてる世界からは、永遠に消えてもらいたい。そういう判決がすぐに出るのが普通の常識の世界だと思うのだが。 判決をグズグズしてると、(ま、オウムもそうだけど)単なる粗暴な殺人鬼のくせに、あれこれ支持者から吹きこまれて、「抑圧されたプロレタリアートの犠牲者だ」と主張した、永山則夫のようになりかねない。 日本の刑法では、実は「終身刑」はない。死刑の次の刑罰の「無期懲役」になると、どんな極悪人でも、ちゃんと刑務所で真面目に勤めれば20年未満で出てくる。初犯なら、殺人でも7年くらいで出てくる場合もあるらしい。異常な(あるいはそう見える奴が)人を殺したもの勝ち、そういう世の中ってのも、なんだかとっても異常である。 死刑制度の是非や、日本の裁判制度については、他にも色々言いたいことはあるのだが、本日はちょっと酔っぱらってるので(←またかい)また後日。 |