MADE IN JAPAN! 過去ログ

MIJ Archivesへ戻る。
MADE IN JAPAN MAINに戻る

2001/06/11 ウスラ寒いような狂信

先週末は大阪支店に出張。ここは、以前梅田から歩いて数分というビルにあったのだが、去年引越しして新大阪の近くに。東京から行くには便利になったが、仕事が終わって、さあ飲むかとなったら不便な場所である。

金曜日にむこうの会議室で仕事していると、ちょうど、付属池田小の児童殺傷事件のニュースが飛びこんできた。ひょっとして社員の子弟が通ってるのではないかと総務課長も調べるが、会社には社員の子供がどこの学校に通ってるかというデータは無い。ただあっけにとられてTVの画面を見つめる。

日本で死刑判決が出る境界線は、だいたい3人殺したかどうかだと言われる。今回の場合、子供の殺傷だし、殺した人数から言っても、普通ならば極刑は間違いないのだが、すでに「人権屋」の弁護士が、「犯人には責任能力が無かった」と騒いでいるらしい。

日本には、「どんな手段を使っても、裁判所に死刑判決を出させないようにしよう」、「それが実質的な死刑廃止につながる」と考える奇妙な勢力がある。「年報死刑廃止2000〜2001 終身刑を考える」(インパクト出版会)という本を読むと、日本で死刑廃止を唱えている層の中でも、熱狂的に運動の先端に立っているのがどういう人間かが分かってたいへんに興味深い。

死刑廃止運動をリードしている先鋭的な層は、実は、民主主義者でも人類愛に燃えた人間でもなんでもない。「国家が人を殺すということは許されるべきではない」という自分の理想が誰よりも正しいと信じている連中である。この理想を実現するためならなんでもする。死刑廃止のためなら人殺しでもしかねないような、もはや狂信といってもよいレベルの人もいる。

彼らにとっては、日本全体の過半数を占める、消極的な死刑存続容認派は、たんなる無知蒙昧な大衆であって、意見など聞く価値も無いということである。多数決で負けても我々こそが正しい、だからどんなことをしても死刑を執行させてはならない、というのが死刑廃止論者の最右翼の考えだ。ま、考えは人それぞれだが、なんと恐ろしく、またウスラ寒いような狂信であろうか。

もっとも、犯人を死刑にしたとて、失われた命は戻ってこない。これもまた、ハムラビ法典の昔から、因果応報、復讐の論理の限界でもある。そういえば、オクラホマシティー連邦ビル爆破事件の犯人、ティモシー・マクベイの死刑執行も、この週明けだったか。

日曜日は、のぞみで3時半に帰京。週末もアッという間に終わってしまった。夜はのんびりコンフェデ杯サッカー決勝を観戦。日本は善戦したが、ずいぶんと彼我の格差があったなあという印象。