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2001/11/07 ダイエーの「失われた10年」

帰宅途上で月刊「現代」を読む。「ドキュメント ダイエー再生」という記事がなかなか面白い。

崩壊寸前に追い詰められたダイエーから、創業者の中内功とその長男で副社長の中内潤が去った。この著者は、中内功と潤の君臨した10年を、ダイエーの「失われた10年」と総括する。

現在の新社長、高木は、一度は中内にダイエーを追われた身である。現在の新体制では、かつて中内功にダイエーを追い出されたが、ダイエーにまだ愛着を持つ仲間が次々と復帰している。道はまだ遥かだが、ダイエーには、着実に再生への道を歩み始めたキザシが見えるという記事。

興味深いのは、この記事を書いたルポライター、米本和弘が、ダイエー失速の原因を、親父の後を受けた息子の潤の経営の失敗であると、はっきりと分かるように書いていることだ。

潤は、日本の消費者に合わない郊外・大規模ディスカウントストア、ハイパーマートに投資を注ぎこんだが、巨額の赤字続き。反面、既存店の維持更新投資は怠り、ダイエーの既存店舗は、みんなボロボロとなってしまった。

潤の提唱した「チェーンストア理論」は、店舗の自由意志を奪い、各店は、本部の指示に従うだけの「自分の頭で考えない集団」になってしまった。などなどの批判が並ぶ。10年ぶりにダイエーに復帰した副社長の平山が、「どうやったらダイエーをこんなに悪くできたんだ」と中内功を横に昂然と言い放ったというエピソードも印象的だ。

中内功を取材して、批判的な本、「カリスマ」を書いた佐野眞一でさえ、息子の潤の責任をここまでは書かなかった。この記事でとなえているのは、いわゆる、「中内潤=バカ殿」説である。

まあ、中内は、実の弟さえも信じなかったのだが、息子と娘だけは溺愛したそうだ。中内潤が、わずか33歳で巨艦ダイエーを率いることになったというのも、金持ちの息子ならではの運命であるが、親父の創業した会社の経営から追われ、ここまで自分のやってきたことを否定されるとは、ちょっと気の毒な気がする。

金持ちの家に生まれ。生まれた時から甘やかされて、何不自由なく暮らし、当然のように親父を継いで若くして大企業のトップにつく。しかし、経営に大失敗。会社をドン底に落として、退任後も無能とそしられる。考えてみると、昨日の日記で書いたジャック・ウェルチとは、何から何まで逆の人生だよなあ。