昨日の日記で聖徳太子を、千円、5千円、1万円の3つに登場した「3階級制覇」と書いたが、実はその前に100円札にも登場しており、「4階級制覇」だということが判明。謹んで訂正を。もっとも、聖徳太子の100円札なんて、実際にはお目にかかったことない。 しかし、これで、再び5万円札で登場とかしたら、実に「5階級制覇」。シュガー・レイ・レナードに並ぶ偉業となるのだがなあ。<ボクシングと違うっちゅーの。 |
そうそう、昨日のお札の話を継続すると、昔々は、聖徳太子の千円札なんてのもあった。考えてみると、聖徳太子は、千円 5千円 一万円と、日本銀行券3階級を制覇したという、たいへんな実力者であって、ま、このへんが再登板待望論があるところだ。 今回の新しいお札の顔、野口英世と樋口一葉も、別に悪くはないが、なんか他に候補者はいなかったのかという気もする。かといって、誰をお札にすればよいかと問われると、なかなか難しいが。お役人が勝手に決めずに(まあ、有識者の意見を聞いたという逃げ道は準備してあるんだろうが)ちゃんと世論調査でもすればよかったのになあ。 伊藤博文も、1000円札での実績はなかなかのものだし、明治の元勲でもあるが、まあ女性関係の素行が悪かったのと、韓国で評判が悪いということもあって、再登板はないだろう。もしも、同じ時代から登板させるなら、坂本竜馬か、西郷隆盛なんかはどうか。しかし、この2名は、きちんとした写真や肖像画が残っていないのが難点だ。上野の西郷さんの銅像にしても、本人とは全然違うといった証言もあるくらいで、お札にしづらいかもしれない。 夏目漱石のあとを受け、文学者路線で行くなら、ノーベル賞も貰ったし、川端康成はどうか。しかし、自殺した人がお札の顔というのも、縁起悪くてどうかって気もする。芥川龍之介やら太宰治なんかも、まあ可能性は皆無だが、実現したら気が滅入るよなあ。 では、大江健三郎なんかはどうか。文化勲章も辞退した本人は、固辞するだろうから、お札にするのは嫌がらせみたいなもんだな。科学者なら湯川秀樹なんかという線も浮かぶが、やはり、まだまだ生臭い気がする。海外のお札では存命中の人も印刷するが、日本のお札の伝統では、もうちょっと昔の人でないとなあ。 まあ、タイのお札見ても、イギリスのお札見ても、国家元首を印刷するというのは無難な策。では、歴代の天皇から選ぶ案はどうか。しかし、日本では、天皇を印刷するというのは、右側にも左側にもあれこれと気をつかう事情があって、意外に決着が難しい。 昭和天皇を印刷する? 戦争責任を持ち出すヤツが絶対いるぞ。う〜む。論争を避けるため、実在しない神代の昔から神武天皇なんか? いや、これはこれで、皇国史観の復活だとか言われて問題になりかねない。まあ、避けたほうが無難である。 そういう面では、聖徳太子というのは絶妙の選択であって、これをお札に使おうと思いついたのは相当の知恵者である。こんな実力者を封印して、新しいお札に使わないのも、なんだかもったいない話だなあ。 |
朝の電車で日経を読むと、政府が日本銀行券のデザイン変更を決定したとの記事。それにしても、現行の紙幣が発行されたのが1984年だったとは。なんか、もうちょっと最近のような気がしてたが、月日の経つのは早い。 1万円札は、デザイン変わるものの、福沢諭吉が続投。個人的には、聖徳太子に復活してもらいたいところだが。別に諭吉を悪く言うわけではないが、日本国の最高額紙幣としては、やっぱり聖徳太子という気がする。以前、ウワサされたように、5万円札作って聖徳太子再登板は、やっぱりないのかねえ。 格の面で言うと、「新渡戸稲造」降板も、うなづける気がする。まあ、20年近く健闘したが、やはり5千円の器ではなかった。いまだに、どういうオッサンか知らんもの。<おいおい。 大蔵省印刷局では、紙幣専門の原版を作る専門職員がおり、時々は紙幣を改定しないと腕のふるいようがなく、技術が伝承できない危機に陥ると、2000円札の時に報道された。そういう面では、久々の紙幣改定で、技術を発揮する公式な機会ができ、実によかったんではないだろうか。 まあ、しかし、通貨の変遷ってのは、意外に個人の生活誌、記憶とも密接な関係を持ってるものだ。会社でも、「そういや、穴の開いてない50円玉ってあった」、「あったあった」、「穴の開いてない5円玉ってのも」、「あ〜、懐かしいなあ」などと。ま、オヤジになると、結構、余計な記憶が蘇って、なかなか楽しいものであった。ははは。 |