コロラドのハイスクール大量殺人事件は、日本でもあちこちで報道されているが、高校生が、自動小銃を持っていたというのがちょっと想像を絶する。爆弾のおびただしい数から、自殺した犯人達以外に協力者がいるのでは、との推測もあるそうだが、確かに、まだ明らかになっていない背景があるのかもしれない。
こういう事件を、病んだアメリカの象徴と断ずるのは容易なことだが、やはり背景にある大問題は、だれでも容易に銃を持てる文化がある事ではないだろうか。
シリコンバレーにいた時に、事務所の受け付けの女性が、まだ小学生の息子に狩猟用ライフルを買ってやったと得意そうに話すのにはどうにも違和感を覚えたものだった。金持ちの道楽ではなくて、中流・下流の白人のほうがどういうわけかライフルが好きだ。
この手の事件は、もちろん初めてでもないし、終わりでもないだろう。去年のアーカンソーの11歳と13歳(だったか?)の少年による school shooting も世間に衝撃を与えたが、今回の惨事は、さらにその衝撃を超えている。
宗教も民族も経済状態も、日本では信じられないほど多様な層によって成立しているアメリカの社会は、それなりに病んでいる部分もあるかもしれないが、それでもなお、日本に無い良さや学ぶべき点が多いというのが私の個人的感想だが、ただし、この銃規制の問題だけはまったく別だ。
近年、連邦レベルでの法案で、一部銃の購入に規制がかかったかのように見えるが、あれはあんまり実効のないザル法らしい。そもそも、「銃を持つ権利」、「銃で自衛する権利」が、「銃が殺人に容易に使用されうる社会的リスク」に優先するのかどうかについては、もっと真剣な検討が必要だと思うが、中下流以下の保守的白人層には、いまだに銃規制に反対する声が高いようだ。
全米ライフル協会などのロビイ活動に負けて、アメリカ政治が真剣な銃規制に乗り出さないならば、今後も同様の事件があるたびに、アメリカ社会は、銃器を野放しにする事による社会的コストを、自らの無垢な市民の血で贖わない続けねばならないだろう。
もっとも、それでも結構というのなら、所詮、よその国のことでこっちには関係ないのだが。
|