先日の日記で書いたアメリカ人から、会社のE-mailアドレスのほうを教えてくれとメールが来た。そういえば、彼にはプライベートなアドレス以外に会社のアドレスも教えてたのだが、こっちのほうは転勤で変更があったから、会社宛に送ったメールが届かなかったようだ。
余談だが、彼のメールには、「こちらでは、連日、J.F.K.,Jr の飛行機事故のニュースで持ちきりですが、日本でも大きく報道してますか」と書いてある。日本でだって、アメリカほどではないにせよ、そこそこは報道されている。
今日、見かけたオヤジが読んでたスポーツ紙には、「JFK・ジュニア事故に暗殺の疑い」なんて出ていた。日本のスポーツ紙は、アメリカの3流タプロイドしか海外ネタ元が無いから、こういうヨタ話は一般紙より早い。
アメリカでの報道ぶりは、確かに凄いようだけど、考えるに、これは単にケネディ家が”Kennedy Dinasty(ケネディ王朝)”とも評されるような名門一族で金持ちだったからという意味ではないような気がする。
ケネディ家は、どちらかといえばアメリカでは差別されるアイルランドの出身。JFKのオヤジ、ジョセフ・ケネディは、禁酒法時代に色々と危ない商売にも手を出して大金持ちになり、政治にもクビを突っ込んで、イギリス大使にもなった。
しかし、地位を金で買ったと揶揄されて、ニューイングランドに住む、アメリカ本来のエスタブリッシュメントには、単なる成金としてさげすまれていた家系である。宗教も、アメリカでは主流ではないカソリック。ジョセフ・ケネディが金に糸目をつけずに息子達を大統領にしたがったのは、WASPに代表される従来のエスタブリッシュメントを見返そうという意識もあったに違いない。
本来の名家や政治一族や歴史ある金持ちのボンボンという面では、ブッシュ2世や、アル・ゴア副大統領や、ダン・”ポテトの綴りも知らない”・クエール元副大統領なんかのほうが当てはまると思うが、もし彼らが事故にあったとしても、これほどの報道がなされるかは疑問だ。
JFK・ジュニアと聞いた時、ほとんどのアメリカ人が思い出すのは、やはり父親のJFKだろう。そして、暗殺後の葬列のパレードが進む中、当時まだ3歳だったJFK・ジュニアは、母親のジャクリーンに、「お父さんに最後の挨拶をしなさい」と耳打ちされ、パレードの列に敬礼して、父親の棺が目の前を通り過ぎて行くのを見送った。
このシーンは、JFKの悲劇の象徴として、現在まで繰り返しフィルムや写真で報道されているから、ある年齢以上のアメリカ人には、JFK・ジュニアは、いつまでもあの時の少年として、記憶に残っているに違いない。
父親は物心つく前に暗殺され、母親のジャクリーンは、船舶王にして世界一の金持ちオナシスと再婚して彼の元を去る。たとえ財産は残されたにせよ、JFK・ジュニアの育った環境は孤独で悲惨である。政治の道を目指さなかったのも、この幼少期のトラウマと関連があるかもしれない。そういう、ケネディ家の悲劇の象徴が、また悲劇的な最後をとげる。これもまた気の毒な話だ。
もっとも、Yahooアメリカの掲示板なんかを読むと、「ケネディだからといって特別扱いするのは不快だ。我々が事故にあったら沿岸警備隊は4時間も探せば探索打ちきりと言うだろう」なんて投稿もある。(ま、この種の投稿は、Webの掲示板なら東西を問わず必ずあるんだけど)
確かに捜索はまだ続いているようで、SKYPerfecTVのFOXチャンネルでもうるさいほど報道している。ジュニアは別に政府要人と言うわけでもない。特別扱いを不快に思う人だっていても不思議はない。
しかし、1963年のJFK暗殺は、現役の大統領が射殺されるという、アメリカという国家にとってもトラウマというべき事件であって、ある意味でアメリカは、幼くしてその事件によってその後の人生を大きく狂わされたJFK・ジュニアに借りがあるとも言えるのである。
JFK暗殺は、彼の父を奪い、結果として彼の母をも奪う。そして、叔父さえも大統領選挙運動中に凶弾に倒れる。ジュニアを、アメリカという国の権力に潜む暗黒の犠牲者とするなら、継続される捜索と、メディアで繰り返される「Kenndedy Tragedy」の報道は、その無垢な犠牲者に対する罪滅ぼしと鎮魂の儀式のように見える。いや、それとも、これはあまりにも陰謀史観に毒された妄想だろうか。
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