昨日の夜は、DVDで、劇場公開の時に見逃したリュック・ベッソン監督の「ジャンヌ・ダルク」を見た。そうそう、英語では「Joan of Arc」と表記するとは知らなかった。「ダルク」ってのが苗字だと思ってたが、とんだ勘違いだったんだなあ。
ジャンヌ・ダルクにまつわる伝説を聞く時に、誰しも感じる素朴な疑問は、シャンパーニュの農村で育った文盲の娘が、「自らがオルレアンを解放して、シャルル王太子をフランス王として戴冠させる」という途方もない夢を抱いたのはなぜか。もうひとつは、自ら戦場で軍を指揮してイギリスを打ち破って伝説的勝利を得ることができたのはなぜかということだ。
この映画でジャンヌを演じるミラ・ジョヴォヴィッチは、ロシア出身なんだそうだが、神への敬虔さと意志の強さ、そして時には脆さをも合せ持った複雑な人格を見事にこなしている。ジャンヌがなぜ、自らを「神のメッセンジャー」と信じたか、という点については、フラッシュバックして繰り返される幻覚シーンも効果的だが、ちょっと他の映画では見られない異形のキリストに妙な存在感があって、逆にあれは本当に神なのかという、後半でかきたてられる疑念にもつながってくるところがなかなかシュールである。
中世が舞台で、衣装や髪型も独特だということもあるが、他の脇役にも異相というか、変わった顔の俳優が多くて、なんだか画面に不思議な緊迫感があるのがキャスティングの妙である。フェイ・ダナウェイの変わった髪形は、デビッド・リンチの「砂の惑星」に出てきた魔女のオバハンを思い出したが、実在の中世の貴婦人の肖像を元にしているのだとか。
ジャンヌが戦闘に立って軍を導く戦闘シーンでは、ベッソン監督は、兵士の人数まで史実にこだわったという。ちょっと残虐に過ぎる場面もあるが、おそるべき迫力があって劇場で見なかったことをちょっと後悔。歴戦の将軍達に、たかが小娘と侮辱されたジャンヌが初めて戦場に出るシーンはたいへん印象的だ。
敗残のジャンヌがイギリスの捕虜になった後、ジャンヌの良心として出現するダスティン・ホフマンも印象的だ。ジャンヌの内心の葛藤は、時には自らの罪の告解であり、時には荒野でキリストを誘った悪魔のささやきにも聞こえる。前半の壮大な戦闘シーンに対して、脚本がよく練られた密室の心理劇である。このへんは、日本語字幕よりも英語のほうがずっとロジカルで分かりやすいから、英語版字幕で見るのがお勧めだ。
結局のところ、ジャンヌが聞いた声は神の声だったのか、あるいはすべては彼女自身が作り出した幻覚であったのか。ジャンヌ自身は、神を追い求め、自暴自棄になり、自らの判断を疑い、思い惑いながらも、結局は最後まで神に対する信仰を捨てず、敢然として火刑へと赴く。
ベッソン監督は、ジョヴォヴィッチのためにこの映画を作ったというが、まさにその通りに仕上がった印象的な映画だ。考えてみると、フランスの伝説の聖女をロシア人が演じ、フランス系の監督がアメリカ資本で英語の脚本で撮っている。100年戦争の昔から500年近くたって、今われわれが生きている、昨今の複雑な世界を重ね合わせて見るのも面白い。
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