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2004/05/03「The Last Temptation of Christ」

昨日の午後は、「パッション」を見ようと車で銀座まで。メル・ギブソン監督が、キリストの最後を描いた話題作。アメリカ公開では受難シーンのリアルで残虐な描写が物議を醸したとか。ま、内容がどうであれキリストの受難を映画にすると、ユダヤ人は、ユダヤ排斥への根源的記憶を呼び起こすと気分害するから大変である。ギブソンがこの映画の製作に27億円も私財を投じたというのは、アメリカ映画界をユダヤ資本が牛耳っていることと関係あるのだろうか。

30分前に劇場のあるビルに行き、看板持ってた係員に聞くと、総入替制で次の回の空席はもうほとんどないとのこと。公開直後だからか結構混んでいる。2時間半も再度待つ気もしない。また次の機会にして帰宅。

その替わりという訳でもないが、部屋で「The Last Temptation of Christ(最後の誘惑)」のビデオを引っ張り出して鑑賞。この映画もまたキリストを描いている。アメリカで買って持ち帰ったので日本語字幕は無し。DVDに慣れてしまうとVHSビデオは、画像も音声もずいぶん劣化している印象。小声のセリフが聞き取りにくい。ウィレム・デフォーはどちらかというと「サル系」で一般的な「イエス顔」ではないのだが、物語が進むにつれてちゃんとキリストに見えてくるのが素晴らしい演技力の賜物。

ヨハネの洗礼、荒野での悪魔の試み、奇跡的治癒の数々、ラザロの復活、ワインに変わる水、故郷で受け入れられぬ預言者など、福音書でおなじみのエピソードが印象的に描かれる。ユダ役のハーヴェイ・カルテルが実に印象的。あと名前を忘れたがパウロ役も素晴らしい。「普通の人々」で精神科医をやってたな。

この映画は最初に、原作者の言葉と共に、「This film is not based on the Gospels but upon fictional exploration of the eternal spiritual conflict」と出る。「この映画は福音書ではなく、魂の永遠なる葛藤に関するフィクションとしての探求に基づく」。

確かにこの映画は普通の福音書の枠を超えて飛躍したイマジネーションを我々に提示する。ユダは、イエスと同じ重要な神の計画を成就するための役割を背負う。改革者として選ばれたイエス。イエスを殉教させる役割のユダ。そしてイエスがユダを裏切る。神の計画の実行に忠実なユダを「イエスが」裏切るのである。

最古のマルコ福音書では、イエスの最後の言葉は「神よ神よ、どうして私をお見捨てになったのですか」。しかし、一番最後に成立したヨハネ福音書では、「すべてが終った」となっている。史的イエスの復元を研究した聖書学者はこの間に様々な事情を読み取る。

しかし、この映画原作者の自由なイマジネーションは、この2つの言葉の間に、イエスの神への裏切りと改心の物語を挿入した。悪魔の誘惑に会い、ナザレ人ヨシュアに戻るキリスト。パウロ、ユダとの再度の邂逅と「ヨシュア」の改心、そして再び十字架に戻る決意。この飛躍したドラマは、確かに感動的に成立している。

再び父の元に抱かれ、ゴルゴダの丘十字架上で死ぬために戻ったイエスの最後の言葉、「It is accomplished!(事は成就した)」が心からの歓喜の声となって天へと昇華してゆく。それは悪魔の最後の誘惑か、あるいは十字架でのイエスの夢だったのか。印象的なラスト。今度DVDで買い直さなければならないなと感じたマーティン・スコセッシ監督の名作。