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2004/11/07 「ファイト・クラブ」

今年は松茸ご飯を食べてなかったことを思い出して、昨夜炊いてみた。しかしスーパーで売ってた松茸はアメリカ産の小さいもの。考えてみれば、松茸のシーズンも終り寸前。今ごろ買う奴も珍しいよなあ。今年松茸食べたのは、「あら輝」の「トロ松」と昨日の松茸ご飯くらいだな。もう季節は冬の入り口。

だいぶ前に購入して未見であった「ファイト・クラブ」DVDを見た。昔、時折メールを頂いた方から、この映画は実に面白いと聞いていたのだが、どういう訳か今まで見る気にならなかった。

映画冒頭のタイトルバックが素晴らしい。脳の内部。神経伝達物質によるシナプス間の情報交換は、軸索を経由してニューロン全体へ伝わる。そして神経細胞から神経細胞へと増幅され脳神経全体へと伝わってゆく興奮。映像は次々と脳組織をくぐりぬけ、最後には皮膚から体外に出て行く。「コンタクト」のタイトルバックが、地球表面から外宇宙へと時空を遡って行く旅であったとすると、この映画のタイトルバックは、脳という内宇宙から外世界への脱出を描いている。そしてこれが映画全体の伏線にもなっているところがお見事。

縦横無尽に地下や建物を潜りぬけ、ビルの地下にセットされた爆薬を映すキャメラが新鮮。オフィスのゴミ箱や北欧家具にまみれた部屋の描写など、映画が始まって数分のうちにデヴィッド・フィンチャー監督はCGを駆使した斬新な映像を我々の眼前に叩きつけてくる。

飼いならされたサラリーマンの現実逃避の夢。殴打による骨のきしみと血、苛性ソーダにより皮膚が焼ける痛みを通じてしか感じられない生の歓喜。自分が生きている実感を追求するための無軌道。表面に現れた暴力的な面が批判も呼んだ映画だが、奥底に流れる人間の実存を問うテーマは暗く深い。この映画には原作小説があり、かなり忠実に作られているらしい。やはり原作がしっかりしていたのだろう。

エドワード・ノートン演じる主人公の名前は、最後のスタッフロールで「Narrator」として紹介されている。「映画の紹介役」という命名。確かに確認してみると、映画の中で彼の本名らしきものが出てくる場面はない。(例えば冒頭のセラピー場面。相手が呼ぶのは主人公がその都度使う名札に書いた偽名である)これは映画の最後の謎解きにもかかわる重要な部分なのだが、最後まで主人公の名前を伏せながら観客にそれを意識させないのは、監督の演出が冴えているからだ。

ブラッド・ピットは相変わらずどこかイカれた役。こういう役がハマるというよりも、そもそも地でやれるそういう演技しかできないのではという印象をぬぐい去ることはできないなあ。エドワード・ノートンはおとなしい役だが実に存在感があり好演。

映画のラスト。主人公の覚醒。そして修復不可能に見えたマーラとの和解、再確認される愛。しかし主人公達のいるビルさえ崩壊する暗示。救いのないはずだが、不思議に開放感のある奇妙なエンディング。リリカルな音楽と超高層ビルのシュールな崩壊場面に、なぜか「バニラ・スカイ」を思い出した。このラストに限らず、ところどころに不可解なサブリミナル的ショットが挿入されているのが分かる。丹念に探すともっと謎がありそうな映画である。

ただ2枚組になってる割には特典映像なるものがあんまり大したことないような。そういえば、DVD化された当初にはスペシャル・エディションと称して、セッケンとか、誰も全然欲しくないような余計なオマケがたくさん付属したバカでかい箱だけで販売してたのだった。あれで最初は買う気がそがれたんだよなあ。面白い映画なのだから、最初からオマケなし、シンプルな1枚版で売り出したほうがずっと売上に貢献したと思うのだが。