日曜に「アレキサンダー」を見た。銀座の映画館は、週末にはどういう訳か飲み屋のおネエちゃんと思しい派手目の女性を連れたオヤジが結構多いのだが、本日は、上品な老夫婦やら女性同士やらの客が目立つ。この手の映画は、おネエちゃんには人気ないのかもしれぬ。「トロイ」なんかは女性多かっただろうが。 この映画は、ヨーロッパでは割とヒットしているのだが、アメリカの興行成績はイマイチだとか。アメリカにヨーロッパ文化に対する一種のインフェリオリティ・コンプレックスが存在するのは事実だが、さすがにアレキサンダー大王まで遡るとあんまりピンとこないのか。 ガウガメラの戦い。アケメネス朝ペルシャの大軍を率いるダレイオス大王の顔は、目といい、クルクル巻いた黒いヒゲといい、大英博物館で見たレリーフに描かれたアッシリアの大王そのもの。よくメイクアップを考えたなあとなかなか笑える。コリン・ファレルはそもそもアイルランド系なのだそうだが、ちゃんとギリシャ彫刻にあるような王に見える好演。アレキサンダーの人生を支配する「ゴルゴン」のような母親役、アンジェリーナ・ジョリーも印象的。タラコ唇は相変わらず凄い。 巨額の予算を費やしただけに、壮大な背景が素晴らしい。ペルシャ帝国を征服した後のバビロンの都。中近東、当時最先端の王都の美しい夜景。空中庭園やバベルの塔は、確かにああいうものであったのだろうと感嘆するほど違和感なく成立している。 合戦シーンもスケールは壮大。おそらくCGも多用され手が込んではいるのだが、「ロード・オブ・ザ・リング」と「ラスト・サムライ」を足して2で割ったような、どこかで見た気がするのも事実。全般的に3時間はやや長く感じる。アレキサンダーがホモセクシャルかのように思わせる幼馴染の側近との対話シーンが延々と続くのだが、これが少々ダルい。側近の寵愛は史実にもあるらしいが、ギリシャではこの描写が英雄に対する冒涜と問題になったとか。 プラトンの言う「プラトニック・ラブ」というのは、本来、性別も肉体をも超越した「愛」のことらしい。この映画でも家庭教師だったアリストテレスが男性同士の崇高な愛について解説するシーンがある。それはおそらく、単なるsexual orientationとは別の次元の話なのだが、オリバー・ストーンはもともと人間の内面まで描くのがさほど得意な監督ではないからして、アレキサンダーがバイ・セクシュアルに見えてしまう点も無いとは言えないのであった。 世界の全ての民にギリシャ風教育を与え、兵として訓練し、それをギリシャ軍に編入して世界の果てまで支配しようとするアレキサンダーの野望。ある種ナ イーヴなまでのギリシャ中華思想は、民主主義の守護神を自認し、軍事力で自らの正義を世界に押し付け、覇を唱えようとする現代のアメリカを彷彿とさせる。そして映画のラスト、大王の死の真相。その死後エジプトを引き継いだプトレマイオスは、大王の側近すべてが合意した上での「アレキサンダー暗殺」を暗示する。 オリバー・ストーン監督は、「JFK」、「ニクソン」と現代の巨大帝国アメリカの影なるクーデター、すなわち「王殺し」を描いた。この映画でも2300年前のそれを描いたという事だろうか。 |