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1999/09/12 黒澤明の、「生きる」を見た

さて、昨日の夜は、NHK衛星放送で、黒澤明監督の「生きる」を見た。1952年の製作。30年間、地道に役所勤めを続けてきた初老の市民課長は、自分が胃ガンで余命いくばくもないことを知ってしまう。自分の人生を振り返ったこの男は、「休まず遅れず働かず」を地でいったような今までの自分のお役所勤めが、何ひとつ誇るもののない、保身と卑屈と欺瞞に満ちたものであったことに気づき愕然とする。そして、残りのわずかな余命を、地域住民から陳情のあった小さな公園を建設するために費やすことを誓い、身を削るようにして努力する、というのがストーリー。

はっきりいって、こういう紹介を読めば、だいたいどんな話か分かったような気になるもので、私自身も、今までレンタルビデオで何度も見つけたが未見であった。しかし、実際に見てみると、2時間半に及ぶ長い映画だが、まったく飽きさせない。

これは、この初老の課長を演じた志村喬の名演のせいでもあるが、やはりストーリーの組み立てと脚本が優れているからだろう。自分の死期を悟って、一時は人生の目的を見失い、沈みきっていた主人公だが、元部下の若い女性の一言で、自分の仕事の上でも、世の中に何かしらを残せることに突然気づく。そして欠勤を続けていた役所に出社して、放り出してあった公園建設の陳情書を取り上げるところから、映画は一挙に本人の葬儀の場面になる。

そこで、映画を見るものは、主人公の死の前に公園が完成したこと、しかし、手柄はすべて助役のものとなり、完成式典でも主人公は末席、その尽力は役所の上層部にはまったく称えられていない苦い事実を知ることになる。

映画の後半部は、この通夜に出席した人々が、主人公の思い出を語り合ってゆくうちに、過去の場面が次々とフラッシュバックして、主人公が死を覚悟して、不退転の決意で身を削るような努力をしていたことが次々と明らかになってゆく、という一種の謎解き形式で進められてゆくのだが、この組み立てと盛り上げがなかなか上手い。

しかし、結局のところ、この主人公の死のあとでも、役所の仕事は以前と変わらず、たらい回しが日常で続いて行くという、リアルでほろ苦いラストシーン。

志村喬はさすがに名優で、余命を知った時の情けなく、思いまどう顔、死期を悟った後で、公園建設にかける鬼気迫る表情が実に迫力がある。その息子役が金子信雄だったのにはびっくり。最後のクレジットで気がついた。金子信雄は、その後、タコ入道みたいな悪役面で、ヤクザ映画でさんざん悪い親分役やってましたがな。しかし、当時はまだ若かった。