もう3ヶ日も終わり。早いねえ。 昨日の夜は、TV見ながら、黒龍大吟醸「石田屋」をチビチビと。磨きぬかれた、清冽な清水のような口当たり。しかし、酒の滋味だけは、しみじみと舌に染み渡る。素晴らしい。酔っ払うまで飲んでももったいないので、その後は、菊姫吟醸に切り替え。これは、もっと舌にくる酒らしいヒネ味があるが、それがそれでまた美味し。 「魚味礼賛」(関谷文吉/中公文庫)読了。著者は、浅草の老舗寿司屋、「紀文寿司」の4代目。ワイン通でもあり、ワインの香りに潜む微妙な香りの違いを例にしながら、魚の真価も、その香りにある、という解説が興味深い。「マグロの値打ちは、燃え立つような血の香りにある」というのはその通りだ。 寿司屋仕事に関しても、ツメはアナゴだけではなくタネに合わせて複数準備する、ハマグリは漬込みだけではなく、サッとツユに潜らせたものも握る、仕込みには水道水を使わず、すべて地下水使用、などなど、伝統と新しい試みがクロスオーバーしたこだわりが随所に見られる。タイやサヨリの旬は冬だけで、春にはもう旬外れである、などと魚の旬にも厳格。 研究熱心で、ストイックなまでに仕事を追及する副産物であるが、いわゆる「寿司通」と自称する(特に若い)半可通を毛嫌いして、本で読んだだけの付け焼刃の知識を徹底的にバカにする姿勢があるのも、この著者のおもしろいところである。 ・「寿司通」を自称するなら、昔のように寿司は4〜5貫で止めておいたらよろしい。などなどであるが、ま、実際に寿司を食べ込んでみると、納得の行く主張も多い。しかし、こうして並べてみると、山本益博の主張とは正反対なのが多くて、なかなか面白いな。 東京レストランガイドなんかを読むと、江戸前の名店をつかまえて、「シャリが固いから評価できない」、「煮切りを使わないから★はひとつ」、「ヅケを置いてないのが残念」などと、修行した職人への尊敬のひとかけらもない、ハンチクな聞きかじり知識を披露しているレビュアーが大勢いるのだが、そういう連中に聞かせてやりたい主張でもある。 で、肝心の「紀文寿司」であるが、実は行ったことなし。浅草に住んでた時、何度も前を通ったのだが、大変に年季の入った店で、内部も薄暗く、様子も外から窺いづらい。しかも、本に書いてるようなこの親方の厳格な態度であると、まず一見は無視というような雰囲気だろうなあ。本を出しても、あんまり店の宣伝にならない場合もあるという見本のような本でもある。 |