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2004/12/05 新橋「第三春美鮨」

寿司屋を熱心に新規開拓する意欲は薄れたが、人間勝手なもので、いつも馴染みの店ばかりでは退屈な気もするわけである。金曜の夜は、久々に新橋「第三春美鮨」に予約を。2度目の訪問であるが、前回から半年以上経過しており、久々というより初訪問と似たりよったり。早い時刻に入店すると私が最初の客。親方は気さくで愛想よい。「お勤めはこの近くですか」、「土日はお休みで? いいなあ」などと聞いてくる。一見の寿司屋では客も緊張するが、店のほうも素性を知らない客では確かにやりにくかろう。久しぶりのちょっとした緊張感が、なんだか懐かしくも新鮮で心地よい。

梅錦のぬる燗を頼んだ直後に常連らしい関西弁のおばちゃんが来店。「今、本屋に出ている「サライ」寿司特集の表紙に使った皿がこれなんです」、と親方が自分の焼いた皿自慢。常連だけ相手にするのではなく、私のほうにもキチンと見せて解説してくれるのにはなかなか好感が持てる。種ケースの中央上に置いた、岩石から切り出したかのような大きな焼き物は若手陶芸家の作品なのだそうだが、これについても解説を興味深く拝聴。焼き物ってのも深いよなあ。

ネットにも掲載されていた「江戸前 仕入れ覚書」の増補版が、本日本屋に並んだと親方。原稿を大幅に追加して、前回の自費出版本のほぼ2倍の厚みに仕上がったらしい。では、店を出たらすぐそこの文教堂で購入しましょうと約束。

梅錦はスッキリかつ芳醇な口当たり。スミイカのゲソ肝合え、白子ポン酢がお通し。どちらも新鮮で美味い。ツマミをおまかせで。

佐渡の寒ブリ14.5キロは、清冽な潮の香りさえするような新鮮さ。脂がビッシリ入っているがクドさなく旨みだけが舌に溶ける素晴らしいもの。こんなブリを食べたのは初めてだ。新イカは塩で。今時分に新イカも珍しいが、あえて小さいものを全国に渡って「追いかけて」いるのだそうである。

パキパキ感まで行かないが、爽やかにスカッと噛み切れる食感と爽やかな甘味。まさにスミイカの新子。季節を感じるという意味では、スミイカの身がだんだん厚くなり、夏前には消え去るのを同じ店で定点観測するのもよいが、新イカにとことん拘って冬近くまで追いかけるのもひとつの流儀か。魚の流通が進んで昔は不可能だったことが可能になっているのだ。。白キス昆布〆は上品な脂。昆布も切って後でツマミに。マグロは萩、見島。赤身と中トロ。どちらも上質。サヨリも厚い身で乳白色にネットリと脂が乗る。ツマミの素材に関しては、どれも極上で素晴らしい。

適当なところで握りに。しかし握りの印象はややツマミと違う。いわゆる町場の大衆店の平均的酢飯は、塩も酢も控えめで柔らかい。この店の酢飯はそれよりも更に柔らかく、しかも暖か過ぎる。もっと遅い時間の客に合わせて調整しているのか。しかし私より先にすでに握ってもらってる客もいた。常連ではないからといって酢飯など区別するはずもない。要するにこれがこの店の平均的酢飯なのだろうか。

5〜6貫握ってもらったが、酢飯に驚いてずっと考えこんでいたので何を食べたかあんまり記憶無し。最後に勧められたマグロ中落ちの中巻は、手でつまむと海苔から酢飯がはみ出すのでは心配になるくらい変形するご飯の柔らかさ。握り方が柔らかいのではなく明らかにコメの炊き具合が柔らかい。店により流儀は色々ではあるが、こういう酢飯には今まで当たったことがない。この店の常連がこういう酢飯を好んでいるのだとしたら、別に文句つける筋合いではないのだが。

お勘定のほうだが、福沢諭吉と夏目漱石がそれぞれ2名づつ仲良く財布から立ち去って行かれる。置いてある魚は最高級であるから、ツマミをあれこれ食べつつお酒を飲んで、握りは最後に1貫か2貫、あるいはカンピョウ巻1本という使い方が一番よいのかもしれない。まあ、初手からお茶で握りを食う客はいなかったが。

店を出て文教堂で、「増補版 江戸前 仕入れ覚書」購入。Webで既に読んだ部分もあるが、帰宅してあちこち拾い読み。寿司種に関するこだわりと研究は尋常ではない。読んでいても実に面白い。

酢飯については、「シャリは硬めのほうがうまい。柔らかく炊いて楽をしている寿司屋のなんと多いことか」と書いてある。その通り。この文章にはまったく同感。しかし本日の酢飯がこういうポリシーで炊かれたようには思えなかったのがどうにも遺憾というか不思議なり。もう一軒、今度は「第二春美」のほうもトライしてみるか。