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2005/07/15 「新橋鶴八」

仕事のほうは気ぜわしく、本日もほとんど自分の席にいなかった。今週はあれこれ、やたらと気疲れする事多し。暑かったり涼しかったり、気候も妙だったよなあ。まあ、しかしようやく週末。そういえば3連休だ。すっかり忘れてた。

昨日の夜は、やや遅めの時間に「新橋鶴八」。奥の座敷にも団体がおり、忙しさは最高潮。「すいません、ちょっと待っててください」と言いつつ、親方は切ったり握ったり大忙し。菊正の冷をゆっくり飲みつつ種札をチェックするにずいぶん裏返っている。塩蒸しが売り切れ。白身もカレイしかない。アッ、コハダもない。早い時間の忙しさが分かるようである。

しばらくすると落ち着いたようなのでツマミを。カレイは実に旨みあり。アワビ塩蒸しが無いとすると次に何を頼むか。しばし思案していると、「もう、これだけしかないんですよ」と塩蒸しが3切ればかり目の前に置かれる。「コハダもひとつだけ残ってますから」と親方が言うのでとりあえず一安心。いつもこの店では決まったものしか頼まないが、こういう時にはそれが利点となる。

カツオは皮目の脂が実に濃い。ショウガ醤油で。タコ、ハマグリと煮物を貰ってツマミ終了。握りは中トロ。コハダは分厚い身。ここの店の〆方には、新子よりも分厚い身肉のコハダのほうがずっと合う。ただ、さすがに冬場の全盛期に比べるとややネットリ感が薄れ脂も抜けてきたか。アナゴは素晴らしい。この辺で急に店が空いてきた。残ったお客も終盤で注文のピッチはガクンと落ちる。手の空いた親方とあれこれ雑談。

寿司を教えるのではなく人間を作るのだという弟子育成の話。独立した弟子の話。酒飲んで長居する客の話。寿司の分かったお客の話などなど。昔々、「神田鶴八鮨ばなし」を読んで、一度はこういう江戸前の名店に行ってみたいものだと憧れた。しかし、頻繁な寿司屋通いが可能になったのは、北大路魯山人の言うごとく、ある程度年齢がいって、小遣いが順調に回るようになってから。時すでに遅く師岡親方は引退。源流にまでたどり着けなかったのが残念だが、その弟子「新橋鶴八」石丸親方の語る事は、あの本で読んだ師岡親方の考え方と実によく似ているのである。職人の世界、師匠と弟子の縁、その関係。自分には経験のない世界だけに、実に不思議で面白い。

最後にカンピョウ巻で握りを終了。そうか、お中元の季節なのだ。そんな季節感さえ忘れかけていた。