MADE IN JAPAN! 過去ログ

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2007/01/02 久々の寿司日記でも。祇園「まつもと」

クリスマス休暇を利用して一時日本に帰国していたのだが、元日にアメリカ帰還。日本を1日の午後3時に出ると、10時間以上機上で過ごし、こちらに到着するのがやはり同じ1日の午前11時。実に長い元日だ。異国であっても生活の本拠はいまやこちら。空港に着くと、「ああ、ようやく帰ってきた」という感慨があるのもこれまた前にも経験した不思議な気分。

イミグレーションの係員は、2007年の初勤務だけあってボケている。I-94に一度滞在期間を書いてから、「アッ、間違えた」と汚く訂正。もらってから確かめると、2007年を2008年に書き換えてるはずなのだが、これが汚いのでどうも判然としない。こんなものが正式な滞在許可だと言われてもなあ。移民局控えのほうはバッチ処理されるのだから、ちゃんと08になってると思うんだが。アメリカでこの手の仕事やってる人間の労働力の質は、日本と比べて限りなく低い。まあ、07年末までには少なくとも一度は国外に出るはずだから問題なかろうが。

時差と疲れが出たのか、元日の夜は9時半に寝て、翌朝7時半まで眠り続けた。そのせいか、時差は割と取れたような。今朝から通常通り出勤。



日本帰国中は、久々に寿司屋もあちこち寄って懐かしい味を堪能。忘れないうちに久々の寿司日記をアップしてゆこう。

祇園「鮨 まつもと」初訪問

12月24日は、祇園「鮨 まつもと」訪問のために京都へ。JRの新幹線自動券売機は、アメリカ発行のVisaカードを受け付けない。ロンドンの地下鉄券売機が日本語も選択でき、日本のクレジットカードもそのまま使えたのとはエライ違い。そういえばNEXのプラットホームでも、外国人に成田エクスプレスの指定券はどうやって買うのか聞かれて往生したが、券売機そのものも日本語でしか使えない。JRの国際化も進んでないよなあ。日本に来た外国人は駅で結構立ち往生するだろう。

京都駅からは、タクシーで一路、祇園まで。「鮨 まつもと」は、新橋「しみづ」の一番弟子だった松本大典氏が4月に独立して開店した店。開店が赴任直後の4月だったので、案内もらいながら今まで顔を出せなかった。年末帰国を計画した際、「しみづ」でもよくご一緒したAご夫妻に一緒に予約を取っていただいたのであった。

料亭一力のある祇園花見小路をちょっと横入ったところ。この辺り、いかにも風情のある小料理屋が並び、外国人観光客もしきりに写真を撮っているほど。しかし道のちょっと先にはパチンコ屋があって雰囲気が壊れる。こんなところでパチンコ屋やらなくても。(と思ったが、このパチンコ屋はずいぶん前からあるのだそうで、後からこの辺りに風情ある料理屋が店を開いたというのが正解なようだ)

店の近くでAご夫妻と無事落ち合って入店。久しぶりに再会した松本氏は、どことなく一人前の職人の風格が出てきた。店内は席数にしてはかなり広く、奥には小さな庭を配するなど、ゆったりとして風情あるしつらえ。テーブル席もあるのだが基本的には使わないとか。何度かお目にかかったことのある奥さんも着物姿で女将姿が板についている。手伝いの女性があと1名。あれこれと開店後の話など聞きながら。神奈川育ちなのに関西に移住して結構大変だろうが、お子さんは順応性高く、すでに「関西人化」が進んで言葉が時折分からないとのこと。京都でもすでに常連のお客さんがおり、商売も順調なスタートのようで、実に結構な話。

先付けに油揚げと青菜のおひたし。伏見の酒「まつもと」を常温で飲みつつ、つまみを。「しみづ」と違い、種札がないので、基本的に「おまかせ系」の進行となる。ヒラメは淡路とのことだが実に上質な軽い脂。昆布を当てたサヨリも美味い。タコ桜煮はツメと共に供される。アメリカでこんな質の白身やタコはお目にかかれない。当たり前だが魚はやはり日本だ。

ツマミのサバの皮目を軽く焼霜にするのは「しみづ」風。肉厚で脂が乗りそして柔らかい。握りには生がよいがツマミではこちらが好きだ。平貝と北寄貝も軽く炙り、七味風味で。炙っている時から平貝の香ばしい香りが漂ってくる。その後で塩辛3種もらってお酒をフィニッシュ。ツマミ系も最初は試行錯誤して色々置いたのだが、最近はそれを削る方向で考えていると。まあ、自分でリスクテイクする自分の商売なのだから、お客の反応を見計いながらも、結局は自分の好きなようにやればよい訳で。

ツマミが出されるごとに皿が変わる。最初は「しみづ」流に、ツマミにも握りにも使う皿を軽くふいて次のツマミを置いていたのだが、「京都でそれやったらみんな引くで」と京都のお客にさんざん注意され、その都度皿を変えることにしたと。新富寿司やら新橋鶴八など、昔風を残す江戸前の寿司屋では皿さえ無く、つけ台にツマミもポンと置くから、それに慣れてると気にならないのだが、やはり場所によって文化が違う。実際に商売やってみないと分からないもんだな。

お茶を貰って、握りもおまかせで。握りの皿は「しみづ」に似てると思ったが焼き物ではなく、漆塗りの内側に鉄を仕込んで重くしてあるという凝ったもの。「しみづ」で何度か試験営業で握ってる時から感じたが、松本氏の握りは師匠よりもやや小ぶりで流線型である。

スミイカ、赤身、赤身ヅケ、中トロ、コハダ、皮目を炙ったブリ、車海老、ハマグリ、アナゴなど。最後はカンピョウ巻。随所に脈々と伝わる「しみづ」のDNAを感じるが、酢飯はややマイルドに仕上げてある気がする。とはいえ、もちろん酢はきちんと立っており、関西流の酢飯とはきちんと一線を画する。コハダやハマグリ、アナゴなどの江戸前仕事もきちんとしている。こちらの仕入ルートも探したが、白身以外の素材は、やはりほとんど築地から引くことになったと。地元だけで消費され築地に来ない魚も多いのだろうが、江戸前の寿司仕事に最適の品物が集まるのは、やはり築地だということだろうか。久々に、きちんとした寿司らしい寿司を食して満足なり。 店を訪問する約束も果たせてよかった。また帰国の際には寄りたいもんである。

話は尽きないのだが、あまり長居しても次のお客さんに迷惑がかかる。適当なところで席を立ったが、結果的には2時間以上いたことになろうか。京都に来た目的は「まつもと」訪問だけ。新幹線でその夜に帰京。慌しいが充実した小旅行だった。