MADE IN JAPAN!怒涛のヨーロッパ特別編

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1997/09/13 DAY1:シカゴからハイデルベルグへの道

荷物をチェックインして、シカゴ・オヘア空港発、デュッセルドルフ便のゲートについたのは出発30分前。普通の国内便ならまだ搭乗すら始まってない時間だが、やっぱり国際線だからか(もっとも出発ゲートは国内線と同じ)もうほとんどの乗客が乗り込んでいた。約7時間のフライトでほぼ定刻朝8時半にドイツ・デュッセルドルフ空港に到着。

ここから同期の家のあるハイデルベルグまでは鉄道を使って移動。ヨーロッパ5ヶ国の鉄道乗り放題のユーロパスを使う為。空港内はさすがに英語の表記もあるのだが、空港内にあるドイツ国鉄の駅に行くと、とたんに英語表記が少なくなる。このユーロパスにまず最初の電車に乗り込む前に窓口で使用開始のスタンプを押してもらう。

10分ほどでデュッセルドルフ中央駅に到着。トイレに行くと地下鉄の改札のようになっていて、どうやらコインを入れないとゲートが回転しないような仕組みになっている。コインを入手する為駅構内のキオスクへ。(駅の売店はどこででもKIOSKと書いてましたねそう言えば)小銭を入手してトイレに戻ると、今度は脇にオバチャンが立っていて、なにやら言うのだがこれがドイツ語でさっぱり解らない。

どのコインを入れればいいのかを英語で聞いても、ドイツ語でまくしたてるだけなので往生したが、手持ちのコインを見せると両替してくれたのかどうなのか、向こうでコインを入れてくれた。荷物を持ったまま入ろうとすると、また何やらまくしたてる。どうも身振りから察すると、大きな荷物はこっちに置いておけば自分が見ておいてやる、と言っている(ような気がする)。で、まあ一応荷物をそこに置いて用を足して戻ってくると、オバチャンは荷物をこっちに私ながらまた何やら言う。でもドイツ語なのでまったく解らない。一応、ダンケ・シェーン(そう、さすがにこれだけは知っております)と言い置いて出てくる。これだけ言葉が通じないとまるで外国にでも来たみたいだなあ<外国だっつーの。

一応事前に聞いていた列車番号からホームを探して(これもドイツ語の洪水で一苦労)待っていると、列車は定刻通りに到着。1等車の客室(ユーロパスは1等も2等もそれほど値段の差はなく1等のほうがずっと空いているので、外国人には1等のほうが便利です)は6席ごとに別れたコンパートメントになっている。でも、がらがら。 一人で一室を独占してのんびりしていると、車掌が検札にやってきた。

ヨーロッパの駅はどこでもそうらしいが、駅に入る時には改札がないので、列車に乗ってからの車掌の検札がすべて。その代り切符なしで乗ってる事がバレると罰金と言うシステムらしい。この車掌にも、一応ハイデルベルグの駅に止まるかどうか聞いたのだが、返事は「ヤー(Ja = ドイツ語の Yes)」。その後ユーロパスのどこやらを指してまたドイツ語でなんだかしゃべる。そういえば毎日列車に乗る前に自分で当日の日付を記入しなければいかんとどこかに書いてあったっけ。で、「Do you mean I sould put today's date on it ?」と聞くと、また「ヤー」。で、またドイツ語で何やら話すが、結局彼が自分で記入して返してくれた。どうもコミュニケートしてる感じがなくて心細いなあ。

しばらく乗ってるとケルンの大聖堂が見えてくる。本当に鉄道の駅の真横に立ってるんですな。あわててカメラを出したのできちんと写ってませんけど。ケルンを過ぎてしばらくすると、列車はゆったりと流れるライン川(写真1)のそばを走りはじめる。ただただ続くラインのゆったりとした流れを見ていると時差ボケもあってなんだか眠くなってきた。

出発してから3時間でハイデルベルグに到着。ここは古城街道の出発点でもある古い街らしいが、ドイツの街は皆同じような田舎に見えてさっぱり区別がつかない。駅からタクシーで同期のSの家に向かう。着いてみると彼は子どもをフランクフルトの補習学校に迎えに行ってるとかで不在だったが、奥さんも知り合いなので、とりあえず3階の部屋に案内してもらって荷解きなど。

リビングでコーヒーを飲みながら近況なんかを奥さんとしゃべっているうちに、Sと、日本から今度の旅に合流するこれまた同期入社のHが子ども達と帰ってきた。Hは昨日のうちにここに到着していて、日本語補習校なんかに行ってもしょうがないと思うのだが、他に行くところもないのでSの子どもとフランクフルトまでついていってたらしい。

今日は歓迎のバーベキューをやると言うので、庭で火を起こすお手伝い。子ども達は日本人のお客が珍しいのか、おおはしゃぎで走り回っている。英語圏が長かったから、子ども同士では英語でしゃべるほうが意志の疎通にはいいようだ。

同じくハイデルベルグに住んでる駐在員の奥さんと、あとふたり日本からの出張者が加わって大宴会となる。やっぱりドイツのソーセージはアメリカとは一味違うなあ。ステーキもなかなか結構。だんだんと外が寒くなってきたので、室内へ。子ども達を寝室に追いやってから大人達の宴会はさらに盛り上がり、ハイデルベルグの夜は更けてゆくのだった。


1997/09/14 DAY2: 二日酔いとハイデルベルグ城

時差があるところへもってきて、飲み放題に飲んですちゃらかやらかしたので、とても目が明かない。同期入社のH(彼はいつもベロベロに酔っ払うのでべろちゃんと呼ばれてるから、これからはべろちゃんと記す事にしよう)は何故か元気で、もう起きて、Sの子どもを連れて散歩にいったらしい。元気やなあ。

ベッドに横たわってミネラルウオーターをぐびぐび飲むが、どうにも起きる気がしない。ドイツまで二日酔いになりにきたのかと思うとちょっと情けなし。そうしてるうちに、はなちゃん(Sの長女7才。本当は英恵<はなえ>ちゃん。だけど、ちっちゃいから自分の事はなちゃんて呼ぶんだよ〜)が、今からみんなで「Jungle 2 Jungle」を見まーす。と誘いにやってきた。これは私がアメリカからお土産にもってきたディズニーのビデオ。ドイツでは映画はすべてドイツ語吹き替えなので、英語の分かるはなちゃんからアメリカ版を頼まれていた。

一応、「は〜い」と返事はしたが、こっちは頭はガンガンするしそれどころではない、ばっくれるつもりでまた寝てたら、今度は親父のほうが起こしにやって来た。「駄目だよ、おい。はなえが、Mr.Horiuchi(はなちゃんは礼儀正しいので必ずMr.をつけるのです)が来ないと見ないって言ってんだから。早く来いよ」などとうるさいので、半死半生の状態で階下に降りてゆく。ビデオはまあまあ面白かったです。

まあ、そうこうしているうちになんとか人心地がついてきたので、S夫妻の案内で、子ども2人も連れてハイデルベルグの街を案内してもらう。街の中心部にはとても古い中世の町並みが残っている。小高い丘の上にあるハイデルベルグ城へと向かう。ケーブルカーがあるのだが、ほんの数分乗っただけでお城の横に到着。お城から見下ろしたハイデルベルグの古い町並みはとても奇麗だ。中央を流れるのはネッカー川。

ここは古城街道の出発点でもあるので、なんだかやたらJTBツアーの日本人が多い。城の内部は予約をした案内付きツアーでしか回れないようなので断念。しかし地下室にある巨大ワイン樽は圧巻。こんな樽に一杯ワインが入ってたとは信じ難い。城塞後部にある、爆発で崩れた火薬庫跡も一見の価値あり。しかし二日酔いでボーっとしてたので写真は取り忘れた。一通り見物してからまたS氏宅へ帰り、べろちゃんと明日以降の予定を組む事にする。

最初はドイツを縦断したり横断したりするつもりだったのだが、色々と話しているうちにスイスからアルプスを抜けてイタリアのほうに足を伸ばそうなんて話になってしまった。ユーロパスに付いてくるトーマスクックの時刻表は、鉄っちゃん必携のバイブルらしいが、実に使いやすくできており、ほとんどの列車の予定を組んでしまった。明日は朝一番の電車でスイス・チューリッヒに向かう事にする。明日の朝からSはベルリンに出張なので、マンハイムの駅まで車で連れていってもらう事にする。今晩は酒もほどほどに就寝。なんか一日無駄に使ったような気がしないでもないのだが、ま、いいか。


1997/09/15 DAY3: チューリッヒ、そしてホテル探し

本日は5時半に起床。Sの車に同乗してハイデルベルグからひとつ先の駅であるマンハイムに。観光地としてはハイデルベルグのほうが有名だが、近代的な街としてはマンハイムのほうが大きいので、こっちに止まるチューリッヒ行きの列車の本数が多いのだ。いちおうICやICEと言った特急列車は座席予約可能で、そうしている人もいるのだが、大抵は空きがあるので1人や2人ならそのままどの列車に飛び乗っても大丈夫だ。(実はイタリアで一部例外があってドタバタしたのだが、それは後の話)。

駅で降ろしてもらって、まだ時間があるので、べろちゃんと駅の構内でボーっと座って駅を行き交う人々を眺める。全体にアメリカと比較すると、(マンハイムが地方都市と言う事もあるが)ドイツ人の服装はいたって地味で質素だ。こう言っては失礼だが、皆、古着を来てあるいているように見える。まあ、ゲルマンの質実剛健といったようなもんだろうか。ただ若者はやたら鼻ピアスをしたりスキンヘッドがいたりで、アメリカより恐い(笑)(まあ地域にもよるけどね)。

時間ぴったりにICE(Inter City Express=都市間急行)が到着。旅行中を通じて列車の時間は非常に正確だった。(イタリアでは10分ばかり遅れたけどね)座席は初日と同じように6席ずつのコンパートメントになっているが、予約済みの座席には入り口のスロットに予約区間を表示した紙が入っている。しかしほとんどガラガラ。まあ朝早い電車と言う事もあるだろうが。

ドイツの田園風景の中を列車は快適に進む。沿線のドイツの町や村はどこにでも古そうな教会があったりしてヨーロッパの歴史を感じさせる。しかしコンクリートのビルデイングにしてもやたら古ぼけているのはどういう訳だろう。デュッセルドルフからここまで、ピカピカのビルなんて皆目見なかったなあ。

マンハイムからは4時間でチューリッヒに到着。まだ11時前だ。スイス国境を超える際も何もパスポート等のチェックなし。チューリッヒの駅はさすがに人が多い。Sの言によると、スイスなんてブラっと行ってもホテルなんていくらでも空いてるよ、との事だったので何も予約してないが、とりあえず駅構内にあるホテル案内板から電話が掛けられるので、今夜の宿を探す事にする。べろちゃんはドメスな人で、基本的に英語を話さないのでこっちにお鉢がまわってくる。

1軒目、満室。2軒目、満室。3軒目、満室。ふらっと言って大丈夫だなんて言った奴はどこのどいつじゃい、と怒りを覚えだした4軒目になんとかシングル2つの空きがあると言う。駅から近いSOFITEL。しかしまだルームメイキングができてないので、2時以降に来てくれと言うが、念の為にアメックスの番号を伝えてギャランティーしてもらう。一応ホテルのフロントは皆英語を話すのだが、ここらへんはドイツ語圏なので、ドイツなまりがあって非常に聞き取りつらい。

一応ホテルも決まったので街でも見てまわる事にする。チューリッヒの中央駅はなかなか立派な構えだ。川沿いにそってブラブラとチューリッヒ湖まであちこちの壮麗な教会を見ながら散策。歩いてる人の身なりはどことなくドイツよりスイスのほうが立派に見える。こんな教会もあります。どこの教会も内部はひっそりとして、ステンドグラスがとても美しい。

なんだかんだ歩き回って時間も経ったので一旦ホテルにチェックイン。さすがに観光立国スイスだけあって、フロントの応対もいいし、そつがない。宿泊カードにはファーストネームを書けばいいだけになっている。ラストネームは予約の時伝えてあるからね。同じ事をお客に何度も書かせないようになってると見た。ウェイクアップ・コールを頼もうと電話を取ると、応答の自動音声が始めから日本語になってる。チェックインの時、国籍を聞かれたから、それであらかじめセットしてあるに違いない。

べろちゃんが、明日からのイタリアのホテルも心配だからここから電話して予約しようぜ、と言う。おお、たまにはいいアイデア出すじゃん。もっとも私が電話するんだけど。彼が日本をでる時JALでもらってきたヨーロッパホテル一覧なるものを見て、宿泊先を探す。予定としては、ミラノで3泊して、そこを拠点にフィレンツェ、ピサ、ベニスなどを見てまわろうかと言う計画。

で、さっそくホテルの部屋からミラノのホテルに電話をかけるが、どこも全然空いてない。10軒トライして全滅。11軒目は、ダブル2部屋なら空いてると言う。やれうれしや、とそのままブックしかけたが、ふと気づいてレートを聞いてみた。一泊67万リラ。なんだかどえらく単位が大きいなあ。べろちゃんのガイドブックを見て(私はドイツのあるき方しか持ってない)100リラがだいたい9円と言う事が分かる。つーと1泊で6万円! 申し訳ないが、またの機会にと断る。

しょうがないので、今度はフィレンツェのホテルを当たる。どうでもいいような事だけど、ヨーロッパの電話の呼び出し音は、日本の電話で言う「話し中」の音と同じなんですね。日本でもアメリカでも、鳴ってるとプルルルなんて音で話中だとツーツーとなってますが、むこうはいつでもツーツーツーと言う音で、なんだ話し中かと思って切ろうとするといきなり人が出てあわてます。

フィレンツェのホテルも7軒あたって全滅。すべて満杯。もう一度、べろちゃんと相談。チューリッヒならホテルの部屋もありそうだからここを拠点にしてどっかに行くか。しかしそうなるとイタリアは遠いなあ。じゃあしょうがないので1泊6万にするか、と打診するとそんな金がどこにあるかと、べろちゃんは大反対。そりゃそうだわなあ。でも野宿よりいいじゃん。だから事前にちゃんと計画を立てとけばよかったんだよな、と今さらぐちっても遅い。で、最後にリストに残ってたミラノの数軒を一応あたってから決める事にした。なんとこれで19軒目です。

ところがなんたる天佑か、このミラノ・スターホテル・リッツは2つシングルの空きがあると言う。やっほー。そこでギャランティを求めたが、電話では駄目で、アメックスの番号をFAXで今日中にホテルに送付しないと部屋の確保はできないと言う。ミラノのホテル事情は相当悪そうだ。しょうがないので、一旦電話を切って、ホテルの便箋にカード番号を記載した、部屋のギャランテイを求めるレターを急遽作成。電話で聞いたFAX番号のメモを添付して、横に座ってるだけで、なんにもやらなかったべろちゃんに、これぐらいやれ、とホテルのフロントに持っていかせる(笑)。

ようやく明日の落ち着き先も決まってひと段落したので、食事に出る事にした。駅前通りをブラブラ歩くうちに、結構古い構えのスイス料理の店を発見。店先を見ると、日本語メニューあり、なんて書いてある。アメリカでは基本的に、日本語メニューありますなんて店には行かないが、一言も解らないドイツ語の洪水の中では、こういうのを見るとついフラフラと入ってしまう(笑)。

べろちゃんはウィナーシュニツェル(これは子牛の薄切り肉のカツレツですね)、私は名前は忘れたけどスイス名物と言う千切りポテトをお好み焼き風にフライパンで焼き固めたものに子牛のクリーム煮がついたもの(長い説明ですな)を頼む。その前にレバー肉ダンゴのスープ。交換して食べ比べてみたけど、どれも全体に味付けが濃い。これは昼飯につい入った中華料理店(チューリッヒでも中国人は頑張ってますなあ)でもそうだった。ここらへんの人はそういう味付けを好むのだろうか。まあ、決してまずくはないのだけど。

スイスの赤ワインを2人で2本空けて食事を終え、バーンホフ通りをぶらぶらしながらホテルに戻る。この目抜き通りにはいたるところに、時計や宝飾品の店が軒を連ねており、終日明かりのついたショーウインドウには、ピアジェやローレックスやオメガなど何千ドル、何万ドルもするような時計が並べてある。豪華なもんです。きっと日本人が団体できて買いあさって行く店もあるんだろう。

ホテルの部屋に戻ると、さっきのFAXが送信されたとメモがついて原紙が部屋に戻ってきている。よくみると、私の書いたFAX番号のメモに、修正がしてある。どうやらミラノのホテルの予約係りは、ミラノの市街局番(2)を伝え忘れた為、そのままでは流れなかったようだ。しかしちゃんと調べて送付してくれているとは、なかなかサービスよろしい。スイスの印象ぐんとアップ(笑)。

ホテルの部屋でとりあえず、移動第一日目の無事を祝してウイスキーで乾杯。


1997/09/16 DAY4: アルプスを越え、ミラノへ

一応早起きしてチューリッヒの駅へ。スイスはたった一日の滞在。列車は昨日よりも古い。今度はコンパートメントでななく、ちょうど新幹線のような車両。チューリヒ湖を左に見ながら、アルプス方面へと列車は進む。しばらくして霧が出てきたので、景色が見えるかと心配したが、山並みを望む頃には晴れてきた。

列車の左右に湖と小さな村と山々が次々と姿を現す。その迫力には圧倒される。でもこんな山のなかにも沢山家があるんだが、どうやって生活してるのだろうか。やっぱり放牧とかしてるのだろうか。風景は本当に美しいのだが、到底QV10で捕らえられるようなものではない。でも一応、何枚か写真を置いておくか。(写真1、2、3)。当たり前の事だけど、実物は写真とは比較にならないくらい素晴らしい。

依然として線路ぎわの川の水がスイス川に流れているので、いつ分水嶺を通過して地中海側に流れるようになるかと、見ていたが、長い長いトンネルを抜けるさい、ちょっとウトウトして、ハッと気づいてみると、いつの間にか、アルプスの山々を後ろに、すでに川は南に流れ、陽光さえまぶしくなったような気さえする、アルプス南側に抜けていたのだった。

まだスイスではあるが、確かに家の形がすでに違っている。屋根の斜面がゆるやかになり、採光の窓も大きくなった作りで、あきらかに地中海性気候の地に変わった事が実感できる。のどかな田園風景を更に一時間ばかり走って、ミラノ着。この中央駅もイタリア語の洪水で、英語表記はなかなか見当たらない。記号を頼りに、(こういう事になるとべろちゃんは英語を頼りにしてなくて、もともと記号頼みなので、見つけるのが早いんだな、これが)インフォメーションに行き、とりあえずイタリアリラに両替。とりあえず300DMを両替すると37万4000リラにもなって、なんだか金持ちになった気分。要するにリラの価値が低いのね。

駅を歩いてる人達はドイツ、スイスとは明らかに違う。やっぱりラテン系の顔立ちで、全体に背も低い。こういうのはなんか安心できるなあ。ホテルのあるドウオモ広場へ地下鉄で行こうとするが、この自動販売機がまた実に分かりにくい。結局人のいる窓口でべろちゃんが身振り手振りで購入。中央駅の両替カウンタでも分かった事だが、どっちにせよ英語なんてあんまり通じないので、これ以外方法がないのです(笑)。やっぱりイタリア語の1とか2くらいは覚えとくべきだったか(笑)

自動販売機も分かり難いのだが、ミラノ中央駅には3本の地下鉄が走っている為、どのホームに行けばよいかも実に分かり辛いものがある。3本の地下鉄は路線図ではそれぞれ色わけされているのだが、ホームのかべに塗ってある色と一致するのかと思っていたら、全然関係なかったりするんだな、これが。

まあ、しかしなんとかホテルのあるドウオモ駅に到着。地下鉄の駅から外に出ると、目の前の広場にはとてつもなくおおきな教会がそびえたっている。ゴシックでは世界最大の大きさを持つ教会だ。しかしいったいどうやって作ったんでしょうなあ。壁にペタペタくっついている色々な像は、どうやって固定してあるのか。見ればみるほどその壮大さには驚嘆するしかない。

ホテルはこのドゥオモのすぐ近く。部屋が取れてるかどうか心配だったので、先にチェックイン。部屋からはドゥオモの尖塔が見える。しばらく休んだ後、ガイドブックに載ってるスフォルツエスコ城と考古博物館へ。ガイドブックと言っても、もとよりイタリアに来る事は想定してなかった為、べろちゃんが日本を発つ時に念の為にとJALで貰ったタダのブックレットのみが頼り(笑)。

この考古博物館には、ミケランジェロ最後の作品と伝えられる「ロンダリーニのピエタ」がある。以前、日本のTVで特集された事もあるので知ってる人も多いだろうが、聖母マリアが死せるイエスを抱きかかえるこのモチーフは、ミケランジェロ大得意の彫刻で、20才の時の作品はどこの美術の教科書にも載っている。ところが、だんだんと年を取るにつれ、彼のピエタはどんどんと明確な輪郭を失い、若い時にはあんなに精緻に彫り込んでいた指や顔のディテールを失ってゆく。それは単なる彼の指先の衰えか、それとも若い時には感じる事のなかった神への畏れなのか。彫刻が、すでに石のなかに存在するものを掘り出す作業であるとするなら、晩年の彼が掘り進んだ大理石には若い頃と同じようなピエタは存在していなかったのだ、というお話。

しかし全体にイタリアの美術館に来るつもりなら、やっぱり事前に準備が必要です。なにしろ説明も全部イタリア語だから、どこに何があって見所は何かを事前に知ってないと、見落としが出てくるだろう。

その後さらにプレラ美術館、スカラ座などをぶらぶらと散策を兼ねて見学しつつホテルに帰還。夕飯に行こうかと予約の電話をかけると、なんとどこのレストランも7時半か8時からの営業だって。他の国と比べても始まるのが遅いよなあ。で、大抵イタリア人は夜遅くまで飲んで食って騒いでいる訳です。人生とは愛して、歌って、食べる事。なるほどそうですなあ。イタリアで合弁で事業なんてやると皆痛い目に会う訳だ(笑)。

ともあれ、しゃあないので、頼みの綱の(笑)ガイドブックからホテルの近くのアル・コンテ・ウゴリノというところにして、出向く。前菜はプロシュートとメロン。まあ月並みだけど、やっぱりこの生ハムはイタリア名物だけあってうまい。べろちゃんはシーフードの盛り合わせ。その後で、スパゲッティ・ペスカトーレがお勧めだと言うのでそれを。べろちゃんは同じく名物のミラノ風カツレツ。(でもこれって昨日スイスで食ったウイナーシュニッツェルと同じような物なんだよなあ)。私は白ワインを頼んだが、みんなたいていキャンティの赤を頼んでるようです。ちょっとグラスでもらうとこれもなかなか軽くて結構。トマトソースだから、こっちでもよかったかも知れない。

スパゲッティに限らず、フェッチーニやリングイーニもアメリカでは大抵(アメリカ人はコシのあるパスタはあまり好きじゃないみたい)茹で過ぎだけど、ここのスパゲッティはかなり固い茹で上がりだ。日本でもここまで固いのは珍しい。自分で茹でる時もここで引き上げるのはちょっと勇気がいる、といった固さ。しかしこれが絶品なんですなあ。いわゆるアル・デンテと言うやつでしょうか。知らんけど(笑)。手長えびや貝類もトマトとオリーブ油にマッチして素晴らしい。最後にアイスクリームを頼んで、(これもなかなかよかった)その後エスプレッソ。いや〜。極楽ですなあ。

ものの本を見ると、スパゲッティはスープと同じ第一の皿で、第二の皿がメインだなんて書いてあるけど、実際のところどうなんだろう、と言うのがかねてからの疑問だった。このレストランでも外国人と見ると、ディナーでもパスタをメインに勧めているし。しかし、隣の席の常連と思しきイタリア人の家族を見ると、まず軽い前菜のあとにみんなでフェッチーの小さな皿を食べて、それから子牛なりシーフードのグリルなりの第二の皿にいってるんですなあ。やっぱりスープとパスタはメニューの中で同じ位地にあるというのもまんざら嘘ではなさそうです。なるほど。今度試してみるか。

ゆったりとした食事の後、満月が美しく輝くドゥオモ前の広場をブラブラと散策。もう10時過ぎだが、散策する人波みは絶える事なく、広場の周りを取り囲んでいるカフェは食事や酒を楽しむ人達でまだ満員だ。どう考えても観光客ばかりとは思えないねえ。あちこちのバンドがラテンのムーディーで、しかしどこかしら物悲しいメロディーを奏で続けている。こういう環境だと本当に仕事する気なんてなくなるよなあ。


DAY5:ピサそしてフィレンツェへ行く
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