MADE IN JAPAN! 過去ログ

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2002/06/26 日本帰国

本日は、5時起床で最後の荷造り。これでタイともおさらばである。6時に空港行きのリムジンを頼んである。余裕をみて10分前にフロントへ。チェックアウトの列には、すでに日本人のオヤジが数名並んでいる。人相、風体、話の内容からすると、どっかの商店街の寄り合いで、オッサンが団体で観光旅行に来たような雰囲気だ。タイなんかに遊びに来たら、どうせロクなことしてないだろうなあ。

それにしても、このオッサンらがマナー悪く、後から来たヤツが、列を無視して、どんどん前に並んでる仲間に合流してゆく。これでは、いつまでたってもこっちの順番が来ませんがな。

支払の段になってから、金を借りにソファーに座ってる仲間のところに走って行く、クレジットカードのサインを求められてるのに、そっちのけで後ろの仲間と貸し借りの清算に熱中する、一度もらったカードの精算書をボケーとして落として、後で大騒ぎするなど、まったく迷惑千万である。タイ人のガイドがついてたみたいだが、ガイドも苦労するだろう。ま、こういうマナーと常識が無い日本のオッサン達は、実に国辱モノであるからして、即刻パスポートの発行を停止して、海外に出さないようにしてもらいたいな。

ともあれ、なんとかチェックアウトも済んでリムジンに乗りこむ。身体が慣れてきたか、早朝だからか、蒸し暑さもそれほどではない。滞在したThe Montien Hotel は、ちょっと古びているが、まあまあのホテルだった。

リムジンは空港まで700バーツ。チェックインを済ませて、空港のレストランで朝食。出国手続きの後、免税店を散策。品物はドル表示なのに、クレジットカードの請求がバーツになってたりで、ちょっと混乱する。

帰国のフライトは、割と空いており、アイル・シートを確保したが、横には誰も来ない。6時間ちょっとで、定刻通り成田到着。外に出ると、なんだか、ムヤミに涼しい。タイの気候に順応して、毛穴が開いてしまったかな。ははは。

成田エクスプレスで東京まで。タクシーでちょっと銀座に寄ってから帰宅。いや〜、疲れた。


2002/06/25 タイスキとブレードランナー

本日は、時間ギリギリに起床。同じフロアにあるラウンジでビュッフェスタイルの朝食。マンゴー、パパイア、パイナップル等、果物美味し。本日も、朝から会議室でずっと打ち合わせ。お昼は、焼肉屋で石焼ビビンパを食す。これまたニンニクがゴロゴロしている。韓国風なのに、箸袋には、JAPANESE RESTAURANTと書いてあるのは、これいかに。ま、タイ人にとってはどっちでも同じようなもんなんだろうが。

駐在しているS君から、あちこちの駐在員が食中毒で倒れた話なんぞを聞く。タイで健康に暮らすには、どこの店で何食ったら当たったとかいう情報収集がかかせないのだとか。

夕方から、先方の社長と面談して、この2日間の検討結果を報告。基本的にこの線で進めてもらう了承を得て、同行のS君に本社への報告メールを送ってもらい、今回の出張の目的は、ほぼ達成。やれやれ。

夕食は、駐在のU氏、S氏と、タイスキの店、「コカ・レストラン」に。なんかロゴに見覚えあると思ったら、有楽町マリオン裏で、いつも客が列を作っている同名のレストランは、この店の日本支店なんだとか。バンコクのここが本店だが、アジア各国に何十も支店を出している巨大チェインだ。

魚介類や牛肉や野菜を煮たタイスキを堪能。香菜(コリアンダー)の香りが嫌いなら閉口するだろうが、スープもタレも実に結構。最後にはご飯を入れて雑炊にするのだが、これまた出汁が効いて美味い。有楽町の日本支店は、こっちの駐在員に言わすと、高いだけで、ちっとも美味くないらしいが、日本に帰って、今度、試してみるか。ははは。

満腹した後、まだまだこれからバンコクの夜を探索するというS君と別れ、真面目にホテルに帰着。明日は朝の6時にホテルを出発しなくてはならないので、あんまり遅くまで飲んでるという訳にも行かないのであった。

立ち並んだ露店の喧騒と派手な看板。強い香辛料と果実と腐敗臭の混じった、むせかえるような匂い。女の嬌声と、呼びこみの声と、合掌とお辞儀が交錯する国。タイには、まだ「濃い」原アジアが残っている。なんだか、ブレードランナーの街並みを思い出すな。


2002/06/24 タイ2日目

本日の目覚め爽やか。ドリアンとアルコールも、別に悪影響は及ぼしてないような。蒸留酒だと影響ないのではなかろうか。ははは。ホテルの部屋に、読売新聞衛星版が届けられるところを見ると、日本人の客も多いようだ。バンコクは、日本人駐在員の多さでは、世界第8位の都市だという。

ホテルを出ると、実にムッとする暑さ。夜には露店が出るあたりでは、これまた濃厚な腐敗臭。この高温多湿では、すべてがすぐに朽ち果ててゆく。

バンコクの交差点の信号は、警官が手動で切りかえるので、その警官の気分や事情によって、10分以上待つ時があるのだとか。ホテル近くの横断歩道には信号がなく、歩行者は、車の流れが途切れた時を見計らってスイスイ渡って行くのだが、旅行者にはちょっと難しいな。もっとも、人をひき殺しても、せいぜい10万円程度の賠償だとは、こっちの現地法人社長の話。

終日、現地法人の会議室で仕事。会議室の天井にはヒモが張られているので尋ねると、先日社名変更した時に、開運祈願でこちらの坊さんを呼んで祈祷してもらったのだが、その時に張った結界なんだと。仏教国ですな。お昼は、会社近くのラーメン屋で、ニンニクが大量に入ったタンメンを食す。

夜は、バナナなんとかというタイ料理屋でタイメシ。トムヤムクンとはエビのスープで、トムヤムタリーというのはシーフードスープらしい。野菜や春雨の炒め物、焼きそばなど食す。スパイシーで、なかなか美味なり。



2002/06/23 タイに初上陸。

昼前にJALで成田を発って、飛行時間6時間でタイに到着。フライトは満席。タイ行きってのは、いつもこんなに混んでるのだろうか。経費節減のあおりで、ビジネスクラス使用が当面禁じられてしまったため、エコノミーで来たが、やっぱり疲れる。シンガポールに行くよりも、タイのほうがちょっとだけ近いのだが。

飛行機のタラップを降りると、南国のムっとする暑さ。タイに初上陸だ。建物の中は冷房が効いてるのだが、やはり、空気に何か日本では感じられない香辛料の匂いが混じってるような気がする。イミグレーションを通過して、すぐに出てきた荷物を拾って外に。

1万円ばかりバーツに換えてから、タイ航空のリムジンカウンタに。なんだかずいぶん混んでいて、20分ばかり待たされる。オッチャンが右往左往して、ホテルの名前を連呼しながら客を探すのだが、いったいどういう順番で呼び出してるのか、システムが分からないので、なんとなく不安な気分。しかし、20分程度でようやく車に乗り込む。年式は古いが、白い小型のベンツだ。

バンコク市内まではおよそ30分。タイってのも、ワリとだだっ広いところだなあ。あちこちに、建築途中で止めた廃墟か、のんびり建ててるのか、判断に苦しむような骨格だけのビルがあるのが、いかにも東南アジア風なテイスト。車は、意外に新しいのが走っている。

ホテルにチェックインして、同行のS課長とラウンジで無事到着を祝って、ハイネケンを1杯。

しばらくして、現地法人の社長と管理部門のS君も合流して、サイアム・スクエアのフカヒレ専門店に。タイ風チャイニーズとでもいうのだろうか。ひとりひとり別々の鍋で出てくるフカヒレ姿煮は、最初は鼻につく味の濃さがあるものの、実に結構。一緒に取ったカニチャーハンに、ナンプラーと唐辛子を混ぜたソースをちょっとだけかけて食すと、これまた美味。一度辛いソースかけると、二匙目もどうしてもかけてしまう。辛いのは癖になるなあ。アワビと野菜の炒め物も、旨みの凝縮したアワビが実に結構。一度干したのを戻してから味を含ませてるのだな。

最後のデザートにドリアン。タイのドリアンは、マレーシアのものよりも香りがキツクないのだそうだ。確かに、癖はあるものの、むしろフルーティーな香りさえして、なかなか食べやすい。マンゴー、西瓜、パイナップルの盛り合わせも出て、もう満腹。パイナップルは、まるで糖液につけたかのような甘さだが、これがこっちの普通の生なんだとか。 タイは果物天国である。

ホテルに戻って、ラウンジでウォッカ・オンザロックスを何杯か。そういえば、ドリアンとアルコールは一緒にとってはいけないと聞いた気がするが、大丈夫だろうか。というか、すでにずいぶん飲んでしまったのであった。今から心配しても、もう遅いか。ははは。