今までこの日記はアメリカの日付で書いていたので、日本より、およそ14時間ばかり遅れていたけれど、サンフランシスコから成田への機内で日付変更線を越えた為、日本時間に合わせなければならない。サンフラン発は3日、金曜日の午後1時半だが、約10時間のフライトで、成田に付いた時には10月4日、土曜日の午後4時半。どこかで時間をかなり失ってしまったような気分。
成田には、以前シカゴで上司だったホセ氏が出迎えにでてくれていた。会社で手配してくれたハイヤーに乗って、とりあえず今夜の宿泊先である銀座のホテルに向かう。成田からの高速は、浦安のあたりで6キロばかり渋滞。しかし、1時間半で到着したから、まあよしとしよう。
ホテルにチェックインして、シャワーを浴びる。今後の日本の仕事は、あまり出張なくて済むはず。たまにはいいけど、アメリカでは、毎年10万キロ以上飛行機に乗って、何十泊もホテルに泊まってたのだから、当分は出張はもういいや。
ホテルの電話ラインからモデムに接続しようとするとうまくいかない。フロントに電話すると、接続のアダプターを持ってゆきますというので、それをもらって試すが、不可能。アメリカでも構内PBXを入れてる場合は確かにうまくいかない場合もあり、そういう時に使用するアダプタがあるのは知ってるが、もともとこのPCは日本で売ってる日本仕様をアメリカで購入したのに、アメリカのホテルでは全然問題なかったんだけど、日本では、なにか設定を変えなければいけないのか。ホテルのフロントはこれがあれば大丈夫と言うのだが、どうも不思議だなあ。結局断念。
外に食事に出たが、適当な店が見つからないままに、結局目に付いた吉野屋に誘われるままにフラフラと(笑)入ってしまう。安上がりな奴だなあ(笑)カリフォルニアの吉野屋よりやっぱり日本が本格だ。肉がアメリカより一段と薄いのがいい。やはりこれでなくては。わははh。
PCも接続できないので、ホテルの部屋でTVをただぼんやりと眺めて、11時に時差ボケの薬、メラトニンを一錠飲んで就寝。
エアポートハイアットの部屋で目覚めると、すでに朝の10時。どうやって帰ってきたのか全然覚えてない。事務所にはタクシーで行ったので、運転してたはずないのは確実だが、どうなったんだろう、いったい。マウンテン・ビューの日本飯屋で日本人駐在員と会食のあと、お約束のクパティーノにあるとてつもない暴利を貪る(笑)カラオケラウンジにほぼ全員で雪崩れこんだまでは覚えてるのだが、その後、どうしたのか。う〜ん。
なんとなく、ジョーの差し入れてくれた、見た事のないようなバーボンをストレートグラスで調子に乗って飲んでたのは覚えてるのだが。前にも書いたロシアから来たイリナが横にいたようなかすかな記憶もある。しかし、自分のポロシャツの上に、見覚えの無い白いポロシャツを更に羽織ってそのまま寝てたのはどういう訳だろうか。そういえばやり手のママが、なんだか記念にあげるとか言ったような気もするような、しないような。
財布を見ると、どうも支払いをした形跡がないので、誰かが払ってくれたのだろうか。こう言う時は、大抵いい気持ちになって自分で払っちゃって大抵後で後悔するんだけどなあ。レシートはないが、変なメモが出てきた。日本人の女性の名前と住所が書いてある。なんじゃい、これは? 名前の上には、ライター(RED)と書いてある。酔っ払った勢いで、何か約束したんだろうか? しかし、忘れようとしても、思い出せないのだ<これはバカボンパパのパクリ(笑)。だから約束を果たす事はできません。Takakoさん。<読んでねえっつーの。
目覚めた時には、半死半生の状態。よろめきつつ、空港に向かう。こんなに飲んだのは本当に久しぶりだ。なんだかフラフラする。サンフランシスコ空港でトランクをチェックした後、ウドンバーで、ウドンをすする。ここは日本人客が多いので、構内でカレーやウドンを売っている。あいかわらず不味いんだけど、この不味さがまたいかにもアメリカって感じでいいんだなあ。これが。しかし二日酔いでさすがにしんどい。
余裕を持ってゲートに向かい、レッドカーペットクラブでソファーに沈み込み、ヘロヘロと脱力。搭乗の合図があるまで轟沈。
今朝はオヘアを9時半に発つ便でサンフランシスコ空港へ向かう。外は肌寒いが、空港の待ち合い室で天気予報を見ていると、午後からは暖かくなるらしい。帰国便はビジネスクラスで頼んでいたのだが、シカゴ・サンフランもビジネスでブックされている。アメリカ国内便ではあまりビジネスクラスなんて見ないけど、この747便はサンフランから香港、そしてシンガポールまで行く為、ファーストとビジネスが別れているようだ。本当を言うと会社の規定では、アメリカ国内便でファーストクラスに乗れるのは役員クラスのみなんだが、こういう国際線接続のコノシュアクラスはどういう扱いになるだろうか。ま、いいけどね。
いつもの通路側に座って離陸を待ってると、隣に座ったアフリカン・アメリカンの女性が、ポップコーン食べないなんて話し掛けてきた。ポップコーンは遠慮したけど、なんとなく成り行きで色々と話し込む。サンフランに住んでるのだが、NJの妹の出産の手伝いにいったらえらい難産で、病院に3晩も止まるはめになって、ろくな物も食べてないし、ほとんど寝てないらしい。でも、徹夜明けのハイ状態ってありますよね。まあ、ああいう状態で、彼女のほうはどんどんしゃべる。
眼鏡をかけたとても陽気な美人で、私より4つばかし若いんだそうだ。3人の子どもがいると言うけど、そんな風には見えないね。黒人はもともとのスタイルがいいからなあ。話しててもあきないんだけど、なにしろ洪水のようにじゃかすかしゃべるので、家族構成からどこに住んでるかから、飼ってるペットから、子どもの教育方針から、最近見た映画の話まで、話についてくのが大変だ。私が独身だと知ると、じゃあ私の友達紹介するわよ、クリスティーナって言ってとってもいい娘なのよ、なんて、またとんでもない話が始まるんだけど、残念ながらもう遅いんだな、それは。明日アメリカを離れてしまうからね。
ランチの時に赤ワインを頼んでホロ酔い気分。隣の女性もさすがに疲れたか、ようやく寝てくれた(笑)。しかし寝相が悪いと言うか、枕を顔のところに抱えてこっちに倒れ込んでくるように寝てるので、ビジネスクラスの席でも、彼女の頭がこっちの腕に当たりっぱなし。こんな豪快に寝る奴は見た事ないなあ(笑)。で、飛行機は定刻に懐かしいサンフランシスコ国際空港に到着。「Have a good flight tomorrow」と笑って手をふる彼女にバイバイと手を振って、バゲージクレームへ。
エアポートハイアットにホテルのバスで到着してチェック・イン。シャワーを浴びて着替えてから、タクシーでシリコンバレーの事務所に到着。事務所の懐かしい面々と再会。帰任の挨拶をして回る。今日の夜は支店長を交えて日本人駐在員で送別宴会をやってくれる予定。ただ、2次会で遅くなるとヤだなあ。へたをすると、ホテルに帰るのが2時を過ぎる可能性もあるので、ここまでをアップ。
昨日の夜の事を書き忘れたので、おくればせながら。上司と私と、あと日本人2名の管理部門4名で一応の送別ディナー。出かけたのは、Bob Chinn's restaurant。ここは前にも書いたが、一店舗としての売り上げが全米ベスト10に入るシーフードレストランで、ボブ・チンと言う中国系アメリカ人が一代で築いた店らしい。店の名物カクテルであるマイタイを売るバーカウンタの周りに、「レシートをお受け取りにならなかったお客さまは、その旨マネジャーにご一報いただければチョコレートの詰め合わせをプレゼントいたします」なんてプレートが出ている。つまりレジを打たずに代金をポケットに入れる不届きなバーテンを撲滅しようと言う事ですね。こういうガッチリしたところがいかにも中国系です。
ここは7名以上でないと予約を取らない為、4人では揃ってから待つしかないのだが、さすがに火曜日だとかなり空いていて、すぐに席に案内される。なんだかいつもの席と違って、極めて出口に近い一番端の席に案内された。あんまりこの辺の席は来た事ないなあ、と言うと、案内係りの言うには、「ここは、オーナー、ボブ・チンの席と呼ばれていて、暇な時は彼はいつもここに腰掛けて店を見張ってる一番いい席なのよ」、なんて言う。ホンマかいな(笑)。後でやってきた係りのウエイターに聞いても同じ事を言う。じゃあ本当なのかねえ。
などと疑っていたら、丁度前菜が来た頃に、店の前の写真に写っている当のオーナー、ミスター・チンがやって来た。「おやおや、私の席に座っているね。」なんて私に言うので、やっぱり本当だったみたい。本人の言うには、出口に近い一番端の席に座ると、店で何が起こっているかすべて分かるし、帰ってゆくお客さんの反応も分かる。それになにより、きれいな女性があちこち歩くのを見るのは楽しいじゃないか、なんて私の肩を叩いてウインクしてみせる。老いてますます盛んなり、ですな。このオーナーは一度、店のウエイトレスからセクハラで訴えられたらしいんだけど、肯ける(笑)。
この店は特にカニが有名で、本当のシーズンはやはり冬でしょうね。アラスカン・キングクラブ(日本で言うとタラバカニか)の新鮮なのが入った時なんかは本当に絶品。本日は冷凍しかないようなので、お勧めのハワイアン・コナクラブをチリソースで試してみた。日本だと、カニというと、茹でてポン酢が一般的だけど、カニはガーリックやスパイスとも本当によくマッチする。一度お試しあれ。で、マイタイでいい調子になってホテルに帰還。
で、今日がシカゴ事務所最後の日。自分のオフィスの片づけに専念。結構私物がオフィスにある事に気づいてあわてる。考えてみれば、PC関係でも、外付けFDやCDーROMドライブ、それにZIPドライブなんかが会社に置きっぱなしだった。ひえ〜。もうトランクは一杯で入らない。昨日自宅から発送すればよかったなあ。仕事の書類も結構持ち帰らなければならないものもある。しょうがないので、DHLで送付する事にするが、書類以外の送付はインボイスを作成しなければならない。面倒臭いなあ。
なんだか片づけているのか散らかしているのか判然としない状況の中で悪戦苦闘していると、会計のマネジャーが、管理部門のマネジャー全員で送別のランチに行こうと誘いに来た。ここのところ引越しが逼迫してなかなか会社に来れなかった為、ずっと待ってたらしい。申し訳なかったなあ。
で、管理部門のマネジャー全員と、社内弁護士と社長秘書の女性とで近くのレストランに、考えてみれば、管理部門のヘッドのジェネラル・マネジャーは日本人だが、マネジャークラスは私が帰国すれば、すべてアメリカ人になる。ここ数年でうちの会社もずいぶんと国際化が進んだと言う事でせうか。
人事のマネジャー(女性)は、数日前に日本の本社で行われた研修に参加して、生まれて初めての外国、しかも日本に行ってきたばかりなので、色々と日本で驚いた事を皆にしゃべる。
「タクシーのドアが自動で開くのよ!」そう言えば、日本人はこっちにくると自動で開かないのにびっくりするよなあ。
「それでタクシーがとっても奇麗なのよ」 そうそう、こっちのタクシーはどういう訳か、これでもか、とばかりボロイ、汚いのばかりだもんなあ。運転手は大抵、外国人だし。
「デパートに行くとエスカレータのところに店員が立ってて、おじぎするのよ」 なるほどねえ、そう言えば日本独特かも知れないなあ。考えてみるとなんであんな所に立ってるんだろ。
「東京にもディズニーランドがあるんですって!」 確かにありますなあ。そんなものが(笑)。
私以外はみんなアメリカ人だから、その都度私にどうしてなのか聞くのだが、そんな事は知らないっつーの。でも、日本に帰ると、私も再発見してびっくりする事が結構あるような気がして、ちょっと楽しみになってきた。ガヤガヤと色々な話をして、みんなに感謝の弁を述べて散会。中西部人はアメリカのなかでも、おっとりして気立てがいい、と言うのが通説だが、そういう面では、彼らもみんな典型的な中西部人だ。
午後もせっせとアリさんのように片づけに励む。あ〜あ。私ってなんて働き者なんでしょ。<それは今までサボってたむくいや!
なんとかようやくめどが付きかけた頃、丁度退勤時間を過ぎた。本当はこっちから全員に挨拶に回らなきゃいけなかったんだけど、一緒に仕事をしてたアメリカ人社員が次々に部屋に顔を出して声をかけてくる。失礼な事をしたと、キリギリス、反省。
「I did enjoy working with you」(いっしょに仕事できて楽しかった)「Just keep us in touch, OK?」(また連絡してよ),「I will see you」(またきっと会おう)、「you just come back soon, right?」(またすぐ戻ってくるんでしょ?)、「I hope your great success in Japan」(日本での成功を祈ってます)などなど口々に話す。しかし、誰も「Good by」とは言わない。それは多分、いつでもまた会える事が決まってる時の、気軽な別れの言葉だから。それが、かえって胸に沁みる。全員と、「I will see you」と微笑みながらお別れ。
帰りに同僚と軽く夕食を済ませて、ホテルの部屋で、ルームサービスでとったケンドール・ジャクソンの赤を飲みながら、忙しかったここ一週間を振返る。明日は朝の便でサンフランシスコだ。