MADE IN JAPAN! 過去ログ

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1998/09/15 日本に帰ってきたわたし

昨夜は、オアフ島はヒルトン・ハワイアン・ビレッジのバーでいつものごとく酩酊しておりましたが、酔っ払ったオッサンが、「Sammy Sosa! Two in a day! He is the man!」なんて怒鳴って歩いたり、庭園のステージでは、バンドが「スキヤキソング」を演奏したりで、なかなか楽しゅうございましたな。

サミー・ソーサの62号ホーマーはむこうのニュースでも見たけど、なかなか偉い奴っちゃ。シカゴのりグレー球場はそんなに広い場所じゃないから、ホームゲームではもう少し打てるんではないだろうか。頑張ってもらいたいなあ。

ま、そう言う訳でハワイ最後の夜も終わり、今朝は7時に起きてホテルをチェックアウト。タクシーでホノルル空港へ。そういやあ、ノースウエストのストはだいたい合意に達したと聞いたけど、まだ運行されてなかったような気がしたなあ。今週半ばには平常運行に戻るらしいが、やっぱり帰りにも間に合わなかった。


実は、マウイ島ののんびりしたペースにのんびりやっていたら、帰りのフライトのリコンファームを忘れていた。昨日(アメリカ時間の日曜)、あわてて中華航空のホノルルオフィスに電話したら、録音の声が月曜から金曜までしか営業してないなんて言う。中華航空はオーバーブッキングで悪名高いと聞いてたので、いささか心配したが、チェックインは難なく終了。ま、よほどの事がないと、中華航空のファーストで旅行する奴なんておらんよなあ。実際乗り込んで見るとガラガラだったし。杞憂だった。はは。

ホノルル空港はどこもかしこも日本人で一杯。DFSも日本人の大群に占拠されている。店ではムームーを着た日系人のオバチャンが売り込みに大奮闘。日本にもまだ購買力は残ってるよなあ。これを国内で消費したら、もうちょっとは景気もよくなるような気もせんでもないが。カウンタでファーストクラスラウンジへの入場券を貰ったので行ってみるが、中華航空のラウンジってのは、実にチンケ。


ともあれ、飛行機は一応時間通りに離陸したので文句は無い。しかし、台湾人スチュワーデスは片言の日本語しか話せないし、英語はどういう訳か更に通じないような気がする。あれなら日本語のまったく話せないUAのアメリカ人スチュワーデスを相手にするほうがずっと快適にサービスを受けられる。もっとも、飛行機は古そうだったが、ファーストクラスの席はさすがに快適。機内食がおきまりの、ステーキやらサーモンやらなんだったのにはちょっとうんざりだったが、食事の後は、席をほとんど水平に倒してグースカ寝ていた。


ほぼ定刻通りに、12時半に羽田到着。入国審査もすぐにすんでバゲージもタバコを吸う間も無く出てきた。まあ、なにしろ羽田の国際線なんてほとんど中華航空だけだもんなあ。税関を通過してパーキングサービスに携帯から電話。「今ちょうどターミナル付近まで来てるんです」なんて言うので、外に出てみると、向こうから見覚えのある自分の車が走ってくる。運転しながら携帯で電話を受けてる係員と眼が会ってしまった。ああ、どうもどうもと手を振りながら、なんだか奇妙な気分。しかし、到着後ゼロ分で車到着とは、なかなかタイミングよろしい。うははは。

親父の航空券は成田・伊丹間で切り替えが効かないし、結構荷物もある為、荷物を積んで成田まで送って行く事する。むこうで左ハンドルのレンタカーを運転していた為、走り出してすぐは、道のどっちを走ればいいのか一瞬とまどったが、さすがにすぐに慣れる。湾岸はガラ空きで、ターミナルまで50分で到着。ここで神戸に帰る親父と別れて厚木に逆戻り。首都高速・東名も渋滞なくスイスイ。で、結局3時半には帰宅。

旅行から帰ってきて、ふわ〜っと自分のベッドに倒れこむ時の「ヤレヤレ感」ってのもなかなかの至福だ。「私は家に帰るために旅をする」って言ったのは永六助だっけか。肝臓と財布を大いに痛めつけた旅行だったが、なんとか終わり。体重は増えて財布は軽くなった。

まあ、考えてみれば、もう一日滞在を伸ばして、マンデーナイトフットボールを見てから帰国すればよかったかもなあ。帰宅してからWebでチェックすると、サンフランシスコ49ersはワシントンに大勝していた。むこうのTVで生中継を見たかったなあ。


1998/09/13 マウイからオアフ島へ。

工事中ですわ。

1998/09/12 エメラルドゴルフコース / マウイ最後の夜

これも工事中です。
1998/09/11 天国への行き帰り 

今日は早起きしてレンタカーでハナへ向かう。『Heavenly Hana』(天国のようなハナ)と言われるマウイ東海岸の小さなリゾートなのだが、道がなかなか狭くて大変だ。親父が予約してあったレンタカーってのが、また大きなリンカーンで、乗り心地は「これぞアメリカ人の考える高級感」って感じでフワフワにいいのだが、取りまわしが大変。

カフルイから15マイル程度までは普通の道だが、海岸線を走りだすにしたがって、道はクネクネ、しかも、いたるところで片側一車線通行になるので、運転の気が抜けない。昨日一日運転したので、なんとか左ハンドルのカンが戻ったが、右側通行で走った事が無い人にはきついよなあ、きっと。もっとも、この海岸線沿いの道は『天国への道』と呼ばれて、景色がいい事で有名なんだそうだが、あんまり海とかに見とれて運転していると、断崖絶壁に転落して本当に天国に行ってしまうだろう。

途中で何度か休憩しながら進んでいったが、2時間半ほど進むと、左側にView Pointがあったのでちょっと停車。『Blacksand Beach』というのだそうだが、黒い砂の海岸。まあ、火山でできた島だから、大して珍しくもないといえばそうなんだなあ。

その後、すぐにハナに到着。まあ、小さな海沿いのリゾート。ハナ・マウイホテルで昼食。レストランは海に面したテラスでとても綺麗だ。ウエイトレスも、ムームーを着た、こっちのおばさんばかりのような感じだ。ハイネケンを飲んで、ベーコンとリークのクリームソース、ペンネ・パスタ。固めの茹で具合がなかなか結構。

ホテルに隣接したギャラリーには、色々と美術品なんかを売ってるのだが、タイ出土の石彫りの仏頭が8000ドル、中国の象嵌入りの文箱が1万5千ドルなんて、いったい誰が買うんだろう。ちょっとカリフォルニアのカーメルにも似た印象。ホテルのゲストブックには、最近泊まった日本人の書き込みがあり、「うわさ以上に何もないところでした。食べては寝るの毎日で太ってしまったけど、でも、ゆっくりできて、そこがいい」と書いてある。末尾には「帰ったら、牛丼食べたい」と一言。はは。


もう少し先に進んだら滝とかもあるらしいが、日本語のガイドブックを見ると、『未舗装で4WDでないと行けない』と書いてある。英語のパンフレットには特にそこまでは書いてないので、どうせレンタカーだしトライしてもよかったが、運転にも疲れたので、一応戻ることにした。

帰りの道は、だんだん慣れてきたので、リンカーンの限界を試さんとばかり、ちょっとスピードを上げる。フワフワのサスペンションの大型アメ車だけに、カーブには弱いが、さすがの馬力で、アクセルを踏んだ時の瞬時の加速はなかなか。クライスラーネオンなんかの安レンタカーでついて来る後ろの車をどんどん引き離していい気分になるが(←馬鹿丸出しですな)、猛牛のごとく疾走してくる4WDのRVにはおとなしく道を譲るのであった。とほほ。

なんとかカフルイまで来て、ちょっと買い物でシアーズとKマートに寄り道。ハワイにあっても、やっぱり、シアーズはシアーズで、KマートはKマートだ。アメリカのチェイン・フランチャイズの画一したサービスを提供する力ってのは凄いもんだ。いや、別にそれがいいと言う訳ではないけれど。

その後、色々あって、夕食はワイレアに戻って、『Robster Cove』。食べた事が無いというので、親父にはダンジェネス・クラブを注文。水槽から生きてる奴を食卓まで持ってくる。アメリカ西海岸では見慣れたカニだが、それにしても大きい。私の頼んだのはシーフード・シチュー。

なんとなく、ブイヤベース風を想像してたが、アヒ(いわゆるマグロですな)の大きな切り身が山ほどゴロゴロ入っていて閉口。隣のスシバーの余ったマグロの切り身を入れてるんじゃないのかねえ。カリフォルニアのシャドネーは、なかなか結構。オープンエアのテラス席で、沈んで行く夕日が美しい。

明日はゴルフでレンタカーは使わないので、グランドワイレアに車を返す。ダイヤモンドリゾートにピックアップを頼む前に、グランドワイレアのバーでジム・ビームのオン・ザ・ロックスをダブルで一杯。じゃなくて2杯だったか。はは。噴水と松明と緑に囲まれたホテルの中庭、アメリカのエンタテイナー派遣会社から短期間の契約で来たと思しい、黒人のギター弾きと、白人女性の唄と、遠い海鳴りを聞きながら、静かなマウイの夜は、またふけてゆくのだった。


1998/09/10 楽園の昼寝 / 久々の左ハンドル

常夏の国の木陰で、何もする事なく、涼しい風に吹かれてウトウトと昼寝。確かに極楽なんですが、人間が一日に眠れる量には、やはり限界というものがあって、昼間にのんきに寝てると、静かな夜にまったく眠れないんだなあ。昨日ようやくウトウトしたのが夜明け前。今日はダルダル。まあ、なんでも万事よしとは行かない。

眠れなければ、ずっとネットに接続するばいいじゃん、なんて馬鹿なアイデアも浮かぶのだが、マウイはどうも通信事情がよくない。DTIの海外ローイングアクセスで教えてもらった、マウイのAPは、何度かけてもお倒れになってるようで繋がらない。しかたないので、昨日はホノルルにアクセス。ホノルルも回線の品質なのか、VAIO内蔵の56Kモデムの接続速度は、たったの16K。遅いなあ。

もうひとつ心配なのは、マウイとホノルルは市外局番が808で同じなのだが、市外局番抜きでアクセスすると、何度トライしても繋がらない事。どうも電話料金は市外扱いなんではないだろうか。そういえば、一応、違う島だもんなあ。だとするとホテルからの請求が気になる。DTIも一分30円で課金してくるしなあ。

去年、ヨセミテのホリデーインエクスプレスからネットにさんざん接続して、部屋代よりも高い電話代を請求された記憶が頭をよぎる。で、昨夜は、厳選した日記にしかアクセスしなかった。<そう、やはりここまで来ても、結局読んでる事は読んでます。わはは。


で、今日は7時に起床して、グランド・ワイレアのバジェットでレンタカーをピックアップ。久々の左ハンドルはさすがに緊張する。この辺はあまり交通量が無いので、交差点では、常に、「右、右、右」と呪文をとなえてないと、つい日本のつもりで反対車線に車を突っ込んでしまいそうになる。

晴天の中をスイスイ飛ばして、ハレアカラ旧火山の山頂まで。ここの風景は、「2001年宇宙の旅」の月面の撮影に使われたんだと言う。実際の風景を見ても、確かに月面にしか見えない。不思議なもんだ。

色々と見て回ったが、どうも眠くてあんまり記憶が定かではない。

適当なところで切り上げて、ラハイナに向かう。メインストリート沿いの「Longhi's」でシシリー風パスタ。白ワインを飲んだらいい気分。ドッと疲れがでた。昼飯の後、町をブラブラと観光。マウイ一番の繁華街と言っても、やはりのんびりしたもんだ。ちょっとサンフランシスコとモントレーのフィッシャーマンズワーフにも似ている。まあ、漁港だったそうだから、そんなもんだろう。

その後も回ったが、疲れたので気分が乗れば追記することにして、夕食はワイレアに戻って、フォーシーズン内の「Pacific Grill」でいわゆるパシフィックリム系の中華風シーフード。<なんじゃそれは。ジントニックから初めて、ワインも少々。今日は一日中眠かったが、そろそろ寝ないと明日が持たないのでこのへんで「酔狂の極み、ハワイから更新編」の本日分は終了。明日はいくらなんでも更新はしないだろうなあ。


1998/09/09 ハワイ2日目

今朝のゴルフは8時20分のスタートなので、7時に起床。このホテルのレストランは和朝食があるんですな。クラブを借りて、ホテルのシャトルで5分のゴルフ場へ。ワイレア・ゴルフクラブ、ブルーコース。借り物のクラブだし、最近あまりやってないので、なかなか本調子とは行かないが、リゾートの遊びだもんな。こんなもんで十分。

しかし海の見えるコースで、午前中は涼しい風が吹いてくるしで、気分はなかなかよろしい。途中の売店でビールを買って飲みながらのんびりとプレイする。

後ろの組は日本人だが、前の組はアメリカ人の旅行者のようだ。カートで回るとどんどん進んで、午前中でホールアウト。クラブのレストランでサンドイッチとビールでのんびり昼食。

午後は特に予定を入れてないので、部屋に戻って、海の見えるテラスの長椅子に寝そべってウトウトと昼寝。日陰だし、心地よい風が吹いてきて実に快適。もう仕事に戻りたくないなあ。はは。

夕食は、ガイドブックを見て、近くのグランド・ワイレア内のシーフードレストラン、『フムフム』に予約を入れる。5時半から、ブラブラと散歩がてら歩いて行く。

しかし、グランド・ワイレアってのは、実に立派なリゾート・ホテルだ。ガイドブックで調べると、一泊380ドルからなんて書いてあるが、そんな値段出して、誰が泊まるんだろう。

ジン・トニックを飲みながらメニューを検討。前菜は、ハワイアン・アヒの刺身風と春巻き。メインには、ウエイターのお勧めの、ハワイ特産Slipper Lobsterの3ポンドの奴を頼んで、半身はsteamed、半身は中華風のstirred fryにしてもらう。

海の上に立ったコテージ風のレストランの下が、ちょうどイケスのようになっていて、普通のロブスターもウジャウジャいるのだが、slipper Lobster と言うのは、ちょっと形が違って、シャコが大きくなったような扁平な形をしている。九州の南で取れるゾウリエビにも形が似ているか。もっとも、3ポンドと言うと、1.3キロくらいだから、桁外れに大きいけど。

味のほうは、普通のロブスター同様、非常に淡白な味。やはり蒸しただけでは、飽きてしまって全部食べるのはつらい。半分は中華風にして正解だった。カリフォルニアの白ワインも最高。しかし、勘定も、チップ入れたら2人で350ドル。とんでもないよなあ。

ロビーからホテルに電話してシャトルバスで迎えにきてもらって部屋に帰着。風呂に入って、あとは寝るだけ。マウイの夜は実に静かだ。


1998/09/08 マウイへの道

渋滞を見込んで早めに部屋を出たが、東名、保土谷バイパス、湾岸とスイスイ。まあ、平日の午後だしなあ。かなり早めに着きそうなので、車内から携帯で駐車サービスの会社に連絡。しかし、カーナビで『東京国際空港(羽田)国際線ターミナル』を選択して、信じ込んで走っていたら、工事中の倉庫街みたいなところに連れてゆかれる。ターミナルは移動したらしいが、ナビのデータが古いんだよなあ。

羽田国際線の団体受付は日本人で一杯だ。中華航空を使った格安ツアーなんてのがあるに違いない。出国手続きの後、ファーストクラスラウンジでシャンペンなど飲みながら搭乗を待つ。

機内に乗り込んでみると、中華航空のファーストクラスは、他社と同様(と言ったって、ファーストなんて乗ったのは、UAがオーバーブックしてタダでアップグレードしてくれた2回だけだが)広々としている。広いスペースに乗ってるのは、全部で3人だけ。やっぱりなあ。

スチュワーデスは片言の日本語をしゃべる中国人。接客は普通だが、シャンペン、赤ワインと、飲み物だけは、頼んでもいないのに、やたらに注ぎまくる。台湾の成金にサービスするスタイルなのか。あるいは日本人と見てそうやってるのかねえ。

結局、ワインに酔っ払って寝込んでしまい、スチュワーデスに起こされたのは、ホノルル着陸15分前だった。合計7時間足らずの飛行。実に近いね。

入国手続きも問題無くすんで、外に出るとやはり暑いが、湿気があまりないので、なかなか快適。現地時間はまだ朝の9時過ぎだ。ここからハワイアンに乗り継ぎ。時間に余裕があったので、国内線のチェックインを済ませてから、ターミナルをあちこち歩く。

小錦みたいな白人のオバチャンが短パンはいて、旦那に荷物を持たせてウロウロしてるにあちこちで出くわす。ハワイとは言え、やはりアメリカの空港だなあ、となんとなく懐かしい。ま、もっと他に懐かしいものは無いのか、と言われそうだが、ああいう体型のオバチャンってのは、アメリカの一種のシンボルだからね。もっともポリネシアンのオバチャンも、太りの実力はあなどれないようだが、まだ空港ではお目にかかれない。

ハワイアン航空は座席指定無し。どこに座ってもいいようだ。もっともホノルルからマウイのカフルイ空港までは、たった100数十キロだから、あっという間。空港からタクシーでワイレアのダイヤモンドリゾートまで。30分で到着。ここはバブル華やかなりし頃、日本の企業が開発して、親父もその際に会員になったのだが、いまやバブル崩壊で会員権の価格は急落。

親父も解約を申し込んでるが、180人待ちなんだそうだ。豪華なロビーは人気がなく、ガランとしている。昼飯を取りにレストランに入ったが、客は誰もいない。プールは満々と水をたたえているが、泳ぐ人の姿は無い。日本式に、サウナや打たせ湯完備の豪華な大浴場もあるのだが、旅の垢を落としにゆくと、誰もいない。ツワモノどもの夢の後。日本のバブル崩壊は、マウイでも黄昏を呼んでいる。もっとも、滞在するほうにしたら、実に静かでいい場所だ。


夕食は、レストランに隣接のフレンチ流鉄板焼きの店に行く。店員はハワイアンばかりだが、片言ながらみんな日本語をしゃべる。太平洋に沈む壮大な夕日を眺める席に、客はまたもや我々だけ。日本経済の落日と、マウイの落日とを重ね合わせながら、グラスを傾けたカリフォルニア産カベルネ・ソルビヨンは、心なしかいつもよりホロ苦い味がした。