MADE IN JAPAN! 過去ログ

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1999/05/19 日本に帰国そうそう送別会で飲むわたし

やっと日本に帰って来た。雨が降ってるせいか、湿度が高くて、不快な天候であるな。

昨日の朝、デュッセルドルフからフランクフルト便が40分遅れて、乗り継ぎがバタバタしたが、ルフトハンザは朝の7時50分に無事成田着。成田エキスプレスで横浜まで。

車内で、総合商社の兼松が、株式数を半分に無償減資、社員を1/3にリストラするとの記事を読む。まあ、10年以上も前から、業績悪くて、倒産寸前とささやかれていたから、当然の帰結かもしれないが、いきなり社員が3分の1になるってのもすごい話だ。うちの会社の半分くらいの人員でやってくわけか。ま、今までいかに放漫経営してたかってことだが、現社長の引責辞任は当然としても、過去の無能な経営陣の責任ってのも実に大きいと思う。リストラされる社員には気の毒だけど。不採算部門を切るったって、そこに配属されたのは本人の責任じゃないものなあ。

雨も降ってるし、横浜からタクシー券使ってなんとか厚木までたどり着いた。この個人タクシーの運転手ってのが、えらいジイチャンで、高速でも雨天走行80キロをきっちり守って走る。運転はノロノロ、ヨタヨタ。それにしても、ずいぶんと年のようだが、タクシー運転手ってのは幾つまでやれるのかねえ。

久々に自分の部屋に戻って、ヤレヤレとベッドに倒れ込む。やはり疲れたなあ。

で、一応、会社に電話したら、別に大した用事もないので、午後は出勤しないことにした。まあ、12日間海外出張で、帰ったその日の午後から出社ではやってられん。

しかし、このまま休んでいればいのかというと、夕方からまた都内に出かけなければならない。アメリカ西海岸に駐在中に色々とお世話になった支店長が、今度うちの会社を退社する、その送別会。

出張帰りのその日に都内の飲み会に参加するのもちょっと大変なのだが、この支店長には、最初の海外赴任で何も分からない時に、色々と個人的にもお世話になったし、今回の退職も、あんまり幸せな去り方でもないようなんである。

しかし、さすが本人の人徳で、この事務所に駐在していたOBが部長クラスを含めて10数名以上出席する。こうあっては、是非とも出席しなくてはならない。

カイシャというのは、実は怖いところで、うっかり行かないと、「あのヤローは、Rさんにあれだけ世話になったのに、たかが出張疲れくらいで来ないとはとんでもねえなあ」などと欠席裁判でボロカス言われてしまう可能性もあるのである。<結局、そーいう理由かい。

ま、それは冗談としても、とにかく出席するのだ。限りある身の力試さんという奴ですな。

地球を一周してきたのだから時差は計算上は元に戻ったはずだが、人間の身体ってのは機械ではないので、まだドイツの時間帯を引きずっているようだ。体調はバテバテ。しかし、これだけ疲れていれば、今晩くらい飲んだって、どっちにせよ大した違いはないだろう。毒食わば皿まで。荷解きもしないまま、3時過ぎにはまた外出だ。


1999/05/17 その2 ドイツ最後の夜に新アスパラガスを食す

これがドイツからの最後の更新の予定。 さっきは前日の分を更新しただけで終わったので、今度は本日分。 朝は8時に起床。 日航ホテルのレストランで和朝食を食べてひさしぶりに日本気分。それにしても、38ドイツマルクってのは、日本円換算で2500円以上だけど、実に暴利だなあ。 

アメリカ西海岸に到着した時は、不思議と時差ボケが出なかったが、だんだんと東に向かうにつれ、時差の影響が出てきたような気がする。どうもロンドンに到着したあたりから、夜中に何度も目が覚めるし、ヘンな寝汗をかく。とはいえ、ドイツまで来ると、日本との時差は7時間。明日のフライトで成田に戻って地球一周したら、計算上は時差は無くなるはずなのだが、2日〜3日おきに長距離移動すると、どうも身体のリズムの適応が遅れているようなので、日本に時差を持って帰るハメになりそうだ。

朝9時に駐在員に迎えに来てもらって、デュッセルドルフ事務所に。事務所で打ち合わせ。まあ、大した事もなく終了。これで仕事の公式日程はすべて終了だ。いや〜、これでやっと日本に帰れる。今回の出張は実に長かったなあ。

ちょいと早めにホテルに送ってもらい、日航ホテル横の三越(そうそう、デュッセルにも三越があるんですなあ)でみやげ物を物色。ホテル横の本屋で、週刊文春買って読んで、衛星のジャパンテレビが写るホテルの部屋で大相撲の中継を見てると、ちっとも日本にいるのと変わらないぞ。

今日は夜7時から、デュッセルドルフ郊外のドイツ料理屋、「Gut Knittkuhle」でこちらの駐在員と会食。まるでイギリスの田園風景のような丘陵に立つ、一軒屋のレストラン。しかし広い駐車場にはすでにたくさんの車が停まっており、結構人気の店なようだ。中に入るとドイツ人だらけ。当たり前か。駐在員に聞いたら、ローカルスタッフに教えてもらったんだそうだ。そうだよなあ、普通日本の駐在員が発見するような店ではないよなあ。

ちょうど、名物の新アスパラガスの出始めた季節で、それを添えた季節メニューがたくさんある。駐在員にドイツ語のメニューの中身を聞きながら、ビーフスープと、ランプステーキを注文。前回のヨーロッパ旅行で、普通のドイツ料理は、やたらと塩辛くて、時として日本人の口には合わないことは分かっていたが、このレストランはスープも適度な味付けで、実に結構。アスパラガスは、生の白いのを固ゆでした物で、適度な歯ごたえがあって、これも美味い。ただし、量が山のようにあるので、ちょっと全部は食べきれなかった。つけあわせのジャガイモも、日本のようにパサパサしてなくて、まるでサツマイモのようなテクスチュアで、これもなかなか結構。

ビール飲んでたらふく食べて、ドイツ最後の夜も終了。店を出てもまだ外は明るい。緯度の高いドイツでは、この時期には、日没は夜9時15分頃だ。高原を吹き渡るようなさわやかな風の中をホテルに帰還。明日は10時にタクシー捕まえて空港まで。フランクフルト経由でようやく日本に帰国だ。



1999/05/17 本日は、ドイツ・デュッセルドルフから更新

昨日はちょっと飲みすぎて更新お休み。今回は、ドイツから更新。これで、2週間の間に、日本・アメリカ・イギリス・ドイツの4カ国からWeb日記を更新したことになる。こんな愚挙は、なみたいていのことでは出来ないだろう。わはは。

記録のため、16日、日曜日のことから書いておこう。5時半に起床して出発の準備。6時20分にチェックアウトして、ホテルの前からタクシーに乗る。ロンドンのタクシーは外から見ている分にはずいぶん小さく見えるが、2人分のトランクを助手席側に積み込んで、後ろに座ると、ちょうど4人が向かい合って座るような形になっており、前方の座席は折りたたまれているのでずいぶんとひろびろしている。

道は空いており、15分足らずでヒースロー空港に到着。荷物をチェックインしてルフトハンザのビジネスクラスラウンジで一休み。ビールやワインまでタダで置いてあるのはなかなかサービスがいいなあ。もっとも朝っぱらから飲む気はしない。

ロンドンからデュッセルドルフまでは1時間ちょいだからとても近い。地図を見ると、だいたいヨーロッパ全域が、アメリカなら、西海岸からデンバーまでの間に収まってしまうくらいの広さだ。そういう面では、アメリカのあの辺は、全ヨーロッパに匹敵する土地が何にも使われてないわけで、実に無駄だなあ。もっとも山だらけであんまり利用価値ないようだけど。

デュッセルドルフには、現地法人の社長自らお出迎えしてもらい、ホテルまでいったん送ってもらう。ホテル日航デュッセルドルフ。この辺は、日系企業のドイツ本社が集中している。荷物を置いた後、車でちょっと近くのケルンの町を見物に連れていってもらう。

以前、ヨーロッパに旅行した時、列車の中からだけ見たケルンの大聖堂を見に連れていってもらう。近くで見ると、さすがに迫力がある。13世紀から営々と600年かけて当初の設計図どおりに完成した世界有数のゴシック建築。それにしても、これだけの建物をよく建てたよなあ。おりからの日曜日で、内部では聖歌隊の合唱に続いてミサが執り行われている。ドイツ語とラテン語と思しい連祷が、荘厳な雰囲気の中に朗々と響く。

このケルンには、「オーデコロン」の発祥となった店がある。「オーデコロン」ってのは、「ケルンの水」という意味なんだそうだ。勉強になるなあ。はは。

その後、デュッセルドルフに戻って、アルトシュトラッセ(旧市街)をブラブラと。詩人ハイネが生まれた家が残っており、現在は小さなビヤハウスになっている。この辺のドイツの古い町並みは、ちょうど、東京なんかでも見かける、外装に凝った一軒屋のドイツ料理のレストランが、それこそ軒並み立ち並んでいるといった風情。<なんかよく分からん説明だなあ。

石畳の広場に出ると、すぐ前をライン川が悠々と流れている。上流で雨が降ったせいか、水は茶色ににごっているが、思いのほか流れは急で早い。川沿いでは、古本市が行われて、町の人々が大勢歩いている。空は曇ってちょっと肌寒いくらいの天候だ。

ホテルに戻ってちょっとメール取りなど。ホテルの部屋にある案内には、「PCでネットに接続される方のために、モデムジャックを全室に装備しました」なんて日本語のパンフレットが置いてあるのだが、ホテル日航も、どうせなら、モデムジャックを日本型とドイツ型と両方用意してほしかったなあ。もっとも、変換アダプタあるのでOKなんだけど。

とまあ、ここまで書いたところでちょっと疲れてきたので今日の分はまた後で追記する予定



1999/05/15 黒人が後をつけてくる ロンドン一日観光 / イギリス滞在も今日で終わり

今日は土曜日でお仕事なし。偉いさんと一緒に、朝からロンドン観光に出かける。まず三越の免税店に行きたいというので、地下鉄のワンデイ・トラベリングカードなるものを3ポンド80で購入。これで地下鉄は一日乗り放題となる。ピカデリーサーカスで降りて、駅の地図で三越の場所を探してると、あまりお近づきになりたくない人相をした、汚い格好の黒人が、こちらをチラチラ伺っているのに気づいた。

外へ出て歩き出すと、なんとこの黒人は、ちょっと距離を置いて、ずっと私達の後ろをついて来る。どうもやだね、こういうのは。やはり、のんきな観光客と見て、ひったくりか何かの機会をうかがってるのだろうか。偉いさんには、後ろから変なのが来てることを話して、手にもったバッグに注意するように話す。

で、三越に入って香水の売り場にいると、なんとこの黒人も入ってくる。こんなところに用事があるはずないのに、実に気持ち悪し。もっとも、ここは警備員もいるし、店員もたくさんいるから、まさか店内で悪さはしないだろうが。この黒人が気になって買い物どころではなかったが、フォートナム&メイソンに行こうと、1階に下りると、今度はついてこない。店内で別のカモでも見つけたか。これ幸いとさっさと三越を立ち去る。

歩いてすぐのフォートナム&メイソンで土産用の紅茶を購入した後、店内の喫茶店で紅茶を飲んで一休み。偉いさんは、次にはエジンバラ宮殿での衛兵の交代を見たいとのたまう。大した距離ではないので、グリーン・パークを南につっきって宮殿に。なんだかずいぶんと人が同じ方向に歩いてるなと思ったら、宮殿の前は、まだ一時間前だというのに柵に2重、3重の人垣ができて大盛況だ。ドイツ語やフランス語も聞こえるから、やはり観光客のようだ。

あんまりにも人が多いので、ここをあきらめて、国会議事堂方面に向かうと、別の建物の前で、これから交代すると思しい衛兵と軍楽隊が待機している。こっちは割と空いている。しばらく見ていると、上官が現れて、点呼や整列の号令をかけ始めた。ずいぶんと七面倒くさい手順を、実にのんびりやっているようだが、赤い制服に黒長帽をかぶった衛兵が、整列したり、行進したりしてるのは、まるでおもちゃの兵隊のようで面白い。

時間になって、軍楽隊のドンチャカに乗って、衛兵がバッキンガム宮殿に行進して行くのを見送って終わり。さらに歩いて国会議事堂とビッグベンを見物。ウエストミンスターから地下鉄に乗って、トッテンハム・コートまで。これも偉いさんご所望の、大英博物館へ行くため。途中でパブに寄って、ビールとサンドイッチで昼飯。パンがなんだかとてもまずい。立派な構えの店なんだがなあ。

店で大英博物館の場所を教えてもらって歩く。「もしも可能なら、博物館の為に2ポンド以上寄付してください」と書いてあるが、強制ではないので入場料無料ってところが英国のおおらかなところだ。もっとも、展示品の目玉の大部分は、世界に冠たる大英帝国の時代に、エジプトや中東から略奪してきた古代文明の遺産なのだから、これで儲けてはまずいだろうって気もするな。

ロゼッタストーンや、アッシリアや古代エジプトの展示jを中心に見て回る。今から2000年以上も前の人類が、文明を作り上げていたことを知るにはとても貴重な場所だが、何しろあれこれ展示があるので、いちいち説明を読んでいたらとてもではないが回りきれない。4時まで足を棒にしたが、そこで断念。

ホテルに戻ってちょっと休んでから、7時過ぎにもう一度夕食に出る。Leicester Street駅にほど近いチャイナタウンに。味はまあ可もなし不可もなしといったところ。しかし、大して高級な店でもないのに、2人で50ポンド近いってのは、やはりロンドンは物価が高いような気がするなあ。

地下鉄ピカデリー線に乗ってホテルに帰還。イギリスの地下鉄に乗ると、日本の地下鉄がいかに清潔で綺麗かよく分かる。明日の飛行機はヒースローを朝の8時15分に発つから、ホテルを6時半に出てタクシーで空港に向かう予定。今日はロンドン最後の夜だが、さすがにアメリカに続く2段階の時差で、昨日はよく眠れなかった。今夜は荷造りして、早寝する予定。


1999/05/14 その2  インド料理屋にて

さて、さっき日記をアップした後、こっちの支店長と駐在員との会食。 材料関係で半年前から駐在になったS氏は私と同期入社だが、最近はこっちの業績もいいらしく結構なことだ。

場所は、支店で予約してくれた、泊まってるホテルのすぐ横の、「Bombay Brasserie」。 ロンドンではとても有名なインド料理の店なんだそうだが、確かに立派な建物で、内装もとても豪華。まあ、イギリス料理というのは見るべきものがあんまりないだけに、旧植民地の関係からたくさんあるインド料理なんかも、いわゆるイギリスの名物に数えていいかもしれない。

メニューを開くと、見開きに、店のオーナーが来店した有名人と一緒に写ったたくさんの写真が印刷されている。アンソニー・ホプキンス、ショーン・コネリー、ミック・ジャガー、トム・ハンクス、 ブルース・スプリングスティーンなどなど。

アメリカにも、こういう店主が有名人好きの店は多々ある。 カリフォルニアはマウンテンビュー、エルカミノ沿いの、アメリカ歴代大統領が来店した時の写真が累々とかざってある某有名チャイニーズレストランなんかもそうだが、ここは何を食べてもケチャップの味がするわけで、白人の有名人が来店するエスニックレストランというのは、案外、当てにならない場合が多いのだよなあ。

店内は、人品いやしからぬイギリスの紳士淑女ばかり。アメリカで、米の飯を目当てに、そこらへんにいくらでもあるインド飯屋に頻繁に出入りしてた身としては、インド料理屋なのに、まったくインド人客の姿がないというのも不可思議な気がするなあ。もっとも、「偏見を持つには、旅行するにしくはない」というくらいであるから、単に通りすがりの私のいた時間だけのことなのかもしれないのだが。

味のほうは、一応、ちゃんとインドのフレーバーがするのだが、ロブスター・マサラかなにかを頼んだのが間違いだったか、妙に欧米の一皿料理の枠にこだわった、小さくまとまりすぎた味のような気がする。しかし、違った皿を頼んだ周りに聞いてみると、肉系の皿がマイルドで、シーフードのほうが常にスパイシーなのは、アメリカのインド料理と同じ。 これは、インド料理そのものがそうなのか、欧米人の好きな肉系の辛さをわざと押さえてあるのか、いったいどちらだろうか。

ロンドンは物価が高いと聞いていたが、メニューを見ながら、なんだそうでもないなあ、と思っていたら、ポンド表示を無意識のうちにドル換算で考えていたことを発見。 ポンドは約200円だから、米ドルの約2倍だ。

そうすると、スターター(アペタイザー・前菜)で頼んだチキン・ティッカの、「6.50」とあるのは、ポンドだから、1300円近いということだ。メインの皿は、単品で、「25.00」とか「30.00」なんてのもあるから、これも5000円、6000円する。ひえ〜。

アメリカの普通の町場のインド料理の値段から考えると、これは3倍、あるいはもっとするなあ。インド本国の物価水準からしたら、まさしく天文学的数字で、まさにインド人もびっくりって奴だなあ。<古いね。

もっとも駐在員に聞くと、確かにここは高い店だが、日本料理屋も相当に高いらしい。 思い出してみると、今日の昼飯時に行った、ちんけな店で頼んだ親子丼が「6.50」と書いてあったが、あれはもちろんドル表示ではなくてポンド表示なのだから、米ドルなら12〜13ドルするんだな、冷静に考えてみると。しかし、ちょっと暴利だよなあ。

ただし、こちらの駐在員に聞くと、イギリスは社会福祉政策が進んでいて、日常の食料や生活必需品はとても安いらしい。医療費も原則無料。普通の暮らししていれば、大して金もいらないが、贅沢品は高い。高い金払っても食べたがる奴がいる料理屋の値段は、ずっと高値安定しているということだろうか。やはりある種の階級社会がいまだに残っている、その残滓を垣間見たような気がした。


1999/05/14 イギリス入国審査書類を漢字で書く

13日は午前11時から、現地法人社長がメンバーになっているWinstonというゴルフクラブでゴルフ。前半はパーオン続出したが、パー3のバンカーで7つも叩いたり、ひとつのホールで3つもボールが池に入ったりという悲惨な出来事が起こって、結局、56−56の112に終わった。ここは初めてだが、とても綺麗ですばらしいコースだ。ただ、バンカーがとんでもない。<自分の腕を棚に上げてバンカーを責めるなって。

ホールアウト後、クラブハウスで一杯飲んでから、着替えるヒマもなくシカゴオヘア空港へ直行。夜7時25分シカゴ発のUA便でロンドン・ヒースロー空港に向けて出発。これでアメリカともお別れだ。それにしてもせわしない日程だねえ。ゴルフなんぞしたくなかったのだが。

機体はボーイング777で、それなりに新しいが、座席は成田・サンフラン間の747−400のほうが立派だったような気がする。そうそう、「ぷろくら日記」遠藤さんが書いてたと思うけど、今回の旅行のクラスはファーストではなくてビジネスなので、そこのところお間違えのないようによろしく。はは。もっともビジネスでも座席に液晶TVはついてるし、フライトアテンダントは親切だし、快適は快適だ。

UAは、あんまりオンタイムで出発しないので有名だが、今回も機材の積み込みに時間がかかったのと、忙しいオヘア空港では、当初予定が遅れるとどんどん離陸が後回しになるせいで、結局、1時間遅れての出発。

食事が出たあとはグースカ寝ていたので、あんまり機内の印象は無いが、この路線はほとんど日本人が乗ってない。まあ、確かにシカゴ経由してロンドンまで行く日本人はあんまりいないだろうなあ。機内の放送が、英語とフランス語、半々なのも、いかにもヨーロッパ線だなとうかがわせる。

結局、1時間の遅れをそのまま引きずってヒースロー空港に到着。実はイギリスに来るのは初めて。やはりアメリカの風景とは違って、色々と物珍しい。それにしても、UAのターミナルから入国審査場までずいぶんと距離があるんだなあ。

入国審査場の前で、インド系と思しい太ったおばちゃんが空港の係官に引きずられて行くのを目撃。それに子供が取りすがって泣いている。しばらく見ていると、警備員は私に向かって、早く入国審査のゲートに行けとうながす。う〜ん。あれはいったいなんだったんだろうか。

パスポートコントロールで、先に行かせた同行の偉いさんが文句つけられたので行ってみると、イギリス入国時に提出するランディングカードの名前の部分を漢字で書いている。名前を漢字で書いたら外国人にはさっぱり読めませんがな。そういえば、サニーベールのホテルで住所書く時も、漢字で書いてたよなあ。はは。

しかし、入国審査ではねられては笑い事ではない。しかたないので英語で書きなおしてもらってなんとかOK。よくよく聞いてみると、アメリカ入国の際の書類も、自分の名前の部分は漢字で書いてがOKだったのだと言う。アメリカ入国の時は、横には付き添ってなかったから知らないが、よくそれで入国管理官が何も言わなかったなあ。アラビア語で書いてあっても大丈夫なんだろうか。はは。

なんだかんだでトラブルがあったため、バゲージ・クレームに行くと、すでにスーツケースは出てきていた。イギリスは税関申告用のフォームは特に記載しなくてもいいようだ。税関を通りぬけて、ロンドン支店長と2ヶ月前に赴任したばかりのT君と落ち合う。

T君の車で空港から30分ばかりの事務所へ。到着して、支店長と偉いさんとのお話に同席。それにしても、会議室の窓から外を見ていると、曇りだった空から急に雨が降って来たり、突然雨が止んで陽光が差してきたりと、イギリスの気候は、うわさどおりめまぐるしく変わる。

歩いて行ける距離の日本飯屋で昼食をはさんで3時まで打ち合わせ。さすがに時差があって疲れてきたのと、昨日アメリカでゴルフした後、シャワーも浴びずに長旅だった疲れが出てきたので、ちょっと早めにホテルに送ってもらう。イギリス公式日程はこれで終了。しかし、土曜日にドイツ入りしてもしかたないので、明日はロンドン市内でも見て回る予定としてたのだった。

この辺りはロンドン市内の一番はずれに当たるらしいが、さすがに古い町並みが残っていて、イギリスの歴史を感じさせる。滞在するMillenniumというホテルもなかなか立派。イギリスはAC電源のプラグもモジュラージャックも日本・アメリカとは違うが、ひとつで数カ国対応の電源変換アダプター「サスコム」と、英・仏・独・ロ対応のモジュラー変換アダプター、「ワールドコネクト」で、グローバル・ローミングのロンドンAPにスイスイ接続。しかし、ホテルの説明見ると、なんだか電話代が高そうだ。あんまり接続しないようにするか。

で、これからシャワー浴びて一服してから、こちらの駐在員との会食に出かける予定。

あちこちの時間帯を渡り歩いているうちに、日付が何日分か分からなくなってきたが、この日記の日付は私の主観時間なので、滞在している国のタイムゾーンに会わせてある事になる。現在イギリスは14日の午後5時ちょい過ぎだ。多分。<多分ってなにやって。


1999/05/12 日米ホテルの違いをあらためて教わる

さて、本日は朝からシカゴの本社に出向いて、まず社長にご挨拶。その後、アメリカ人スタッフ2名のプレゼンテーションを見て、その後打ち合わせ。通訳するのは別に苦にならないが、同行した偉いさんが、日本語で漠然とした質問をすると、英語に訳すのが困難な場合が多い。日本語ってのは、どうも論理的ではないんだよなあ。

打ち合わせは3時に終了。夕食は現地法人社長との会食だが、まだ時間があるので、6ヶ月ばかり前に赴任したばかりのO君に近くを案内してもらう。しかし、この私の上司の上司は、どうも買い物にはまったく関心がないようで、ウッドフィールド・ショッピングセンターの前を通りかかった時に、「ここはシカゴ郊外では有数の大きなショッピングセンターで有名ブランド店もたくさん入ってます」と説明しても、「ふ〜ん」と言うばかり。

買い物好きなら、ここに連れていってほったらかしといてもいくらでも時間がつぶれるのだが、海外でアテンドすると、買い物に興味が無い人ってのは困るんだなあ。特に美術館に行きたいというご希望もなさそうだし、好きなのは飲むこととカラオケ。毎日そればっかり付き合っていてはこっちが倒れてしまう。

それでも何か買う物はないかとしつこく問うと、「スリッパを買いたい」とのこと。そうそう、外国のホテルにはスリッパ置いてないんだよなあ。もっともあんまり必要性を感じないけど、熟年オヤジは海外に来ると、やたらにスリッパが気になるようだ。

「そういえば歯ブラシもいるなあ」ともおっしゃる。そうそう、外国のホテルには、普通、歯ブラシは置いてませんなあ。ビジネスクラスでくれたバッグにも一応入ってたのだが、「あれはもう壊れた」のだそうだ。まあ、確かに使い捨てだもんな。

「やっぱり寝巻きも持ってきたらよかったな」 とのご感想もあり。う〜む。確かに外国のホテルには浴衣なんぞ置いてませんなあ。

幸い近くにヤオハンがあるので、歯ブラシとスリッパだけ買いに行く。駐在してた時には、まるで当たり前のように思ってたから特に気にしなかったが、やはり日米のホテルは違うよなあ、などと感心してる場合ではないのだが、それにしても、ご本人も10年前に海外出張したとの事だったし、そういうことは当然知ってるものと思っていたのがまずかった。偉いさんのお供としては失格ですな。ははは。<だから笑い事やないんだって。


夕食は、こちらの社長と私の元上司を交えて、シカゴ郊外の「Bob Chinn's Crab House」。ここは、単独のレストランでは売上が全米でトップ10に入るほどの賑わいのシーフードの店だ。650席あって、年間の客が100万人近いらしい。

いつものように、ブルークラブクローと生カキをアペタイザーに。その後、シーフードガンボを頼んで、メインは、アラスカン・キング・クラブのガーリック味。日本で言うとタラバガニに当たるだろうか。2.5ポンドを頼んだら、売り切れだというので3ポンドを発注。いやしかし、これは食べでがあったなあ。もう何も入らない状態でホテルに帰還。明日の夜にはロンドンに出発。それにしてもあわただしいよなあ。

1999/05/11 シカゴ2日目

シェラトンについて飛行機の中で書いた日記をアップした後、会社近くの、「Yu's Restaurant」に、シカゴ北西郊外の辺りでは、なかなか見るべきチャイーニーズ レストランが無いのだが、ここは例外的に満足すべきレベルだなあ。

同席したアメリカ人社員に、昔の話や、最近の状況など聞きながら、老酒を飲んでいい気分。案の定、シカゴの元上司はカラオケに行くと言って聞かないが、私はパス。ま、お供で来てるのに一緒に行かないのもどうかと思うが、まあ、大丈夫なんじゃないかなあ。はは。


1999/05/11 サンノゼからシカゴへ到着 
昨日はシリコンバレーの事務所でちょっと打ち合わせした後、ちょっと時間があるので、偉いさんは、こちらの副社長の案内でスタンフォード大学を見に行くという。私のほうはそっちをキャンセルして事務所で元のアメリカ人の部下や後輩と色々雑談。

昼飯は、日本人の管理部門と、エルカミノ沿いのショッピングセンターにある小さな中華料理屋。ここの炒飯は、時としてはずれがあるものの、当たった時は、たいそうカラっとしあがっていてなかなか結構だ。やはりパラパラの細長い米を使ってるからなんだろう。昔と同じオッサンがウエイターをやってるのが妙に懐かしい。それにしてもちょっと量が多かった。

実は米ドルの現金をほとんど持ってきてなかったので、すぐ横のSAFEWAYの中にあるATMにVISAカードを入れてキャッシングしようとしたら、「このカードはEXPERSS NETでは使えません」とメッセージが出て、カードが排出されてくる。なんでだろうか。

今度は、近くのユニオンバンクに行ってこっちのATMで試してが、やはり「このカードは使えません」とのメッセージが出る。しかし、アメックスのカードで試したら、あっさりキャッシングOKで300ドル出てきた。このVISAカードは、そういえば、ハワイのゴルフ場でも、「This card did not go through」と言われて使えなかったが、時折、機械で読めない時があるんだな。のストライプの磁気が弱くなってるのだろうか。


で、午後からはブリスベーンにある同じ企業グループのアメリカ現地法人を訪問。むこうの部長から色々と話を聞く。シカゴから、この日記にも時折出てきた飲んだくれカラオオヤジである元上司も来てたので、会議の後、サンマテオの日本料理屋で会食。適当なところで切り上げたが、シカゴから来た元上司は、どうしてもカラオケに行くといって聞かない。しかたないので、クパティーノ、北浜まで。結局ホテルに帰りついたのは12時過ぎだった。



で、当然のごとく2日酔いで起床。今日はシカゴへの移動日なのであわてて荷造りする。メールを取ったら、偉いさんあてのメッセージが届いていた。駐在員の車に乗せてもらってサンノゼ国際空港まで。あいかわらず狭い空港だよなあ。

ともあれ、別に困る筋合いのものでもないので、ファーストクラスでシカゴまで行くことにした。アップグレード券をくれた当の元上司はエコノミーのまま。なんだかずいぶんと儲かった気分だなあ。はは。

もっとも、サンノゼーシカゴ間のフライトは727で、ファーストクラスといっても国際線と違い、大した設備があるわけではない。しかし、狭い座席で関取のようなアメリカ人に横に座られると地獄だから、ゆったり座れるのは助かるなあ。

飛行機は定刻を30分遅れて出発。ランチの前にちょいとビールなど頼んで迎え酒。アメリカ国内線は、エコノミーの場合酒類は有料だが、ファーストなら飲み物は全部タダだ。ランチメニューは選択できるはずだったが、私達の座席に来た時には、シェリークリームソースをかけたキャットフィッシュ(なまず)のソテーしか残って無かった。昼間からワイン飲んでいい気分になってすばらく眠ってしまった。

な訳でシカゴには定刻やや遅れて到着。しかしルート90の西行きは大渋滞。やはり退勤時だからなあ。ホテルにチェックインしてもう少ししたら、アメリカ人を交えた会食に出発しなくてはならない。今夜はあんまり飲まないようにしよう。って毎日そう思ってるんだけど。


1999/05/10 アメリカ3日目の朝 

昨日は、サンノゼからちょっと南下した、Cinnabar Hills Golf Clubでシリコンバレー事務所のゴルフ大会。ここは1年ちょっと前にできた新しいコースだそうだが、山を切り開いて造成しただけに、アップダウンが激しくて、どこに打ったらいいのか分からない。フェアウェイも狭くて、すぐにボールがハザードに消えていってしまう。景色はとても雄大できれいなコースではあるのだが。

悪戦苦闘して、勘定すると、5つもボールを無くした。 そのわりには、57−50の107で終了したのは健闘したほうだなあ。新ペリエ方式で算定した順位は、43人中21位。もっとも後半のショートホールでは、ニアピン賞を獲得したのでよしとしよう。

その後は日本食レストランに場所を替えて飲み会となり、結構酩酊したのでさすがに昨日の夜は日記の更新をする気力無し。駐在ではなくて出張のいいところは、酒を飲んでも自分で運転しなくていいところだなあ。はは。

ネットには接続したが、このPCは普段使ってるメインのマシンではないので、ブラウザのブックマークがかなり古い。猿人に登録してないページでurlが分からないところが沢山ある。V-Linkも消え去っているので、猿人リストから、いつも読んでる日記を探すのも大変だ。

で、アメリカ滞在3日目の今日は、なぜか6時半に起床。昨日あれだけ飲んだのに、やはりちょっと時差の影響か。社内メールを落とすのをすっかり忘れてたので日本にアクセスすると、仕事のメールが多々入っており、返事書きに追われる。

それにしても、バカでかいエクセルの表を2つも添付されて、数字が違ってますから教えてくださいと言われても、こっちはプリンタもないし、PCG-1の細長い画面で数字をメモに書き取りながら照合しなければならない。どこがどう違ってるかくらい簡潔に箇条書きしてくれれば助かるのだが、おマヌーな部下を持つと、本当に気苦労が絶えないなあ。

あと1時間ばかりしたら事務所に出なければならない。今日はちゃんと仕事な訳だ。当たり前か。

1999/05/08 アメリカ2日目 日本にいたバーテン / 丹波哲郎とノストラダムス

昨日は、あれから偉いさんのお供でサンフランシスコダウンタウン観光。もっとも車の運転は私ではなく、現地法人の副社長がやってくれるというのでラクなもんだ。私もまだアメリカの免許証もあるし、本来なら私がやらないとまずいかなあ、なんて思うが、それにしても、「これでいいのか」と自問するときに、いつも心の奥底で、「これでいいのだ」とバカボンのパパがささやくってのも、赤塚不二夫の罪なのである。

ともあれ、ゴールデンゲイトブリッジに行って、ロンバードカーブ下って、フィッシャーマンズワーフをブラブラして夕食とおきまりのコース。どこも懐かしい場所ばかりだ。そうそう、本当にアメリカに来てるのかと疑ってる人のために、一枚だけ写真を載せておくか。(ここ) 

サマータイムのせいもあって、遅くまで日が高かったからまだ早いと思ってたが、101を南に下ってホテルまで送ってもらうと、すでにして10時だ。ホテルのバーでちょっとバーボンのオンザロックを飲む。

バーテンはちょっとボケたようなジイちゃんだが、「日本のどこから来たのか」と聞く。「東京からだ」と言うと、「オレも昔、日本に行ったことがある。東京も知ってる。ギンザを歩いたよ」というので、いつ頃のことか聞くと、「1952年」との事。進駐軍で来てたのかねえ。

「それはそれは楽しかっただろう」と聞くと、バーボンを注ぐ手を止めてニヤリと笑って見せた。


部屋に戻ってネットに接続。電話代のチャージを確認すると、ローカルコールは一律75セントになっている。サンノゼ西のAPにグローバルローミングでアクセスしてるから、繋ぎ放題でも大丈夫だな。はは。あっそうか、グローバルローミングのほうは従量制でチャージがくるんだな、確か。

TNTで、丹波哲郎が主演してる、ノストラダムスの終末予言物とおぼしい日本映画を英語吹き替えで流している。この丹波哲郎役の声が本人そっくりだ。それにしても、本人の若さから見ると、今から20年以上も前の日本映画なんじゃないだろうか。五島勉の「ノストラダムスの大予言」がベストセラーになった1970年代の第一次ノストラダムスブームにのっかって東宝かどこかで作った作品のようだが、見るからに駄作だなあ。TNTもよくこんなのを買い付けて着たもんだ。はは。しかし、昔々映画館で見たことがあるようなないような。

そうこうしてるうちに、メラトニンの眠気が襲ってきたので12時過ぎに就寝。今朝の目覚めは快調。ほとんど時差ボケが無いってのもかえって不気味だなあ。本日は、西海岸の事務所のゴルフ大会に混ぜてもらって参加の予定。海外出張草々から遊んでばかりいるようだけど、アメリカ時間では週末のお休みだからねえ。などと、ここに書いても意味ないような言い訳をかましてとりあえず更新するのだった。



1999/05/08 サンフランシスコに到着

日本時間8日の9時に起床。荷物があるので、タクシー呼んで横浜駅西口まで。神奈中ハイヤーも不景気なようで、運転手に大いに感謝される。タクシー業界の色々は話を聞きながら1時間弱で到着。

時間つぶしに寿司屋でビール飲んで、1時発の成田エクスプレス。偉いさんとはここで合流。GW明けだし、空いているかと思ったら、なんのことはない満席だ。成田空港第1ターミナルは、JALやANAが新しい第2ターミナルに移ってからは、アメリカの航空会社ばかりが取り残されて、古い設備でろくに食べ物屋もない冷遇ぶりだったけど、3月に大改装されて、ずいぶんと立派になっている。

UA852便も、ほぼ満席に近い盛況ぶり。GW明けでなぜこんなに人が海外に出るのか不明だが、いつにもましてアメリカ人の乗客が多いような気がする。UAに乗るのは久しぶりだけど、機体は普通の747でも、ビジネスクラスのシートはずいぶんと良くなっている。すべての席に液晶のモニターがついてるし、ノートPCの電源や電話も設置されている。もっとも電源は専用のケーブルがないと使えないし、電話があっても太平洋線では無用の長物なのだけど。(余談だけど、この前、なんかで「無用の長物」の英語訳ってのを見た。「Good for nothing」というのだそうだ。なるほど)

一番気に入ったのは、オーディオにノイズ・リダクションボタンがついたことで、これを押すと、映画や音楽の音声が実にクリアに聞こえる。ボタンを押したり解除したりして試すとわかるのだが、ヘッドセットの外部から聞こえてくるエンジンの音が明らかに減少する。これは実に不思議だなあ。

シャンペン飲んで赤ワイン飲んで食事した後はずっとウトウト。新しいシートのリクライニングも以前より数段改善されて、実に快適。会社の金でビジネスクラスに乗って実によかった。はは。

で、懐かしいサンフランシスコ空港に定刻に到着したまではよかったが、パスポート・コントロールには信じられないような長蛇の列ができている。なんだかむやみにインド人が多いなあ。それにしても、こんなに混雑してるのは初めてだ。国内線乗り継ぎなんかがあると大変だろう。

結局、外に出るまで1時間近く費やした。迎えにきてもらったシリコンバレー事務所の駐在員と落ち合って、とりあえずルート101を南へ。あいかわらず、抜けるような青い空に乾燥した空気。風景もどこも懐かしい。

ほどなくサニーベールのホテルに到着。午前中なんでホテルにチェックインできるかどうか危惧したが、到着すると大丈夫だという。カギをもらって部屋に入ってみると、前の客が立ち去ったままでベッドメイクができていない。こういうところがいかにもアメリカだよなあ。長旅の後でホテルのベッドに倒れこむヤレヤレ感ってのは実にいいものなんだが、リネンも替えてないのでは、ベッドに倒れこむわけにも行かない。

客室係に電話でベッドメイクを頼んだ後、Mountain Viewまで出て、ラーメン屋で昼食。機内で眠ったせいか、時差はまだほとんど感じない。この調子でいきたいもんだけど。ちょっと事務所に寄ってからホテルに帰還。こんどはちゃんとベッドメイクしてある。あ〜ヤレヤレとしばらく休息。

しばらくしたら、SFダウンタウンに行く偉いさんのお供をする予定。ホテルの部屋からグローバルローミングを試すと接続は快調。ダウンロードした「Gric」という接続ソフトはなかなか使いやすい。さて、出かける前にシャワーでも浴びるか。



1999/05/07 やはりトランクのカギ無しでアメリカに出発

昨日はずいぶん探したのだけど、やっぱりトランクのカギは見つからない。そうそう、西村さんがぱるぷフィクション(裏)に書いてる通り、帰国してからポロっと出てくるだろうなあ。まあ、そういうもんだ。はは。

で、西村さんの悲惨な荷物の話を読んでて、やっぱりアメリカの空港ってのは油断大敵だよなあ、と再確認。むこうで暮らしてた時は、基本的に日本にいる時よりも危険を感知するセンサーってのが働いてたような気がするけど、安全な日本に戻ってきてしばらくすると、注意力がのんべんだらりと緩んでくるんだよなあ。気を付けなくては。

まあ、荷物をチェックインした後ろ側でも係員が何やってるかわからないが、アメリカの空港では、手荷物検査のところでもカッパライがある。空港では、手荷物は常に手の届くところに置いておくのが基本だが、手荷物検査場ではここにスキができる。

よくある古典的な手口は、手荷物チェックの時、前の男が金属探知器を通る際にわざとポケットに小銭なんぞを入れておいてモタモタする手だ。

後ろにいるあなたが、もしもうっかり前の男が金属探知機のゲートを通る前にコンベアに自分の荷物を置いてしまってると、前の男がモタモタしてる間に自分の荷物はX線の検査機を通って、先に向こうに出てしまう。

それが、ノートPCが入っていそうなブリーフケースや、財布が入ってそうなセカンドバックだと、先に向こうで待ってた相棒が、横からさっとカッパラッて逃げ去るって算段。

日本だと、手荷物検査場の係員ってのは割としっかりしてるが、あっちの空港の係員は、どうしようもなさそうな輩がたむろしてるから、案外顔見知りとグルになってるのかもしれない。

まあ、外国の空港の手荷物検査では、まず、モタモタした怪しげな男の後ろには並ばない。で、前の奴が金属探知機のゲートをくぐってから自分の荷物をコンベアに置く。これが鉄則だ。とここに再確認で書いておかないと、すっかり忘れてるからなあ。


1999/05/06 スーツケースのキーが無い

で、今日はちょっと一段落ついたところで早目に切り上げて出張準備のために帰宅。やはり機中泊入れて12日間、3ヶ国訪問となると、ある程度の荷物は必要だ。

遊びの旅でカジュアルウェアだけならいいのだが、スーツは必要だし、ゴルフもやるってのが面倒なんだ。おまけにヨーロッパは西海岸よりちょっと涼しそうなんで半袖って訳にもゆかない。

最初は、いつも愛用の大きめのガーメントバッグで大丈夫かと思ってたが、スーツ2着と着替えを詰めたらほぼ一杯で、各拠点への手土産が入らない。キャスター付きで機内持ち込みできるバッグもあるのだが、これはスーツ持ってくのに難点があるんだよなあ。で、急遽方針変更して以前使ってたスーツケースを引っ張り出してきた。

これだと逆にちょっとスカスカって感じ。ま、オビに短しなんとやらって奴か。まあ、入りきらないよりは余裕あるほうがマシではあるので、こっちに荷物を詰め込む。

ところが、あらかた詰め終って気付いたのだが、スーツケースのキーが見当たらない。これは磁石式の変わったカギで、以前は、いつも使ってたアタッシュケースの中に入ってたのだが、そこにはどういう訳か無いんですな。荷造りしたはいいがカギがかからない。これには参った。

まあ、閉まってさえいれば大抵は大丈夫とは思うのだが、特にアメリカの空港の裏で荷捌きしてる連中なんて何やってるか知れたもんじゃないし。

そういえば、以前、「60minutes」かなんかで、空港の手荷物仕分け係が、手当たり次第にトランクやガーメントバックを開けて金目の物を取り出してたのを捕らえた隠しカメラの映像が放映されていた。ああいうのを見てしまうと、トランクにカギをかけずに飛行機にチェックインしようって気が失せるわけなのだ。

まあ、別に金目の物は入れないが、簡単にトランクが空いてしまうと、中をさんざん探られた後、中身を捨てられたり、トランクそのものが無くなるリスクが大きいって事が嫌なわけだ。

というわけで、荷造りは一時中断。どうしようかと考えながら、こうやって日記書いてるんだからしょうがない。スーツケースにベルト巻けばいいような気がするが、これもあったはずなのに見つからない。なにしろハードケースはずいぶんと使ってなかったから。う〜む。さて、どうするか。